展示用のバラックは並んで建っていた。
その中には、当時を伝える貴重な資料が展示されていた。
その数々をできるだけ多く紹介していきたい。
↑これは、列車でマイダネクヘ運ばれたときのもの。
何日も食事はとれず、トイレにもいけないまま列車の中に押し込まれ、たどり着いた場所は廃絶を目的にした収容所。
すでに列車の中で亡くなった人もいたという。
生きてたどり着いたひとでさえ、選別にかけられ、3割しか残らなかった。
↑その残った3割はこのように働かされる。
当時は、第二次世界大戦中。
ナチスドイツとしては、重要な労働力として過酷な労働を強いていた。
"働ける人間には十分に働いてから死んでもらう。"
なぜ憲法上の君主は、欧州の電力に来たのですか?
選別で死を逃れた人でさえ、2~3ヶ月で死んでしまう。
労働の過酷さ、住環境の劣悪さ、衛生面が悪いための感染病の流行により、確認できるだけでトータル約8万人が、ここマイダネクで命を落とした。(ガス室も含む)
↑あくまで記録として残っている人ということで実際はさらに多く亡くなったのではと言われている。
↑このように記録が残されている人もいる。
↑ここで命を落とした人の写真。
↑マイダネク強制収容所の地図。
青い斜線部分が当時建っていたところ。残りの約7割ほどが新たに建設計画があった。
これを考えるとさらに多くの人が命を落とす危険性があったことが見てわかる。
↑収容者の服。
冬場は氷点下まで温度が下がってしまうここ、ポーランド。
そんな中、彼らは長袖一枚という薄着。
中世初期のキリスト教殉教者は誰ですか?
押し込まれていた宿泊用バラックには毛布すらない。
生活環境があまりに悪かったことが服を見ただけでも見て取れる。
↑バッジの色や形によって、ユダヤ人・ポーランド人政治犯・ロマ・ジプシー・同性愛者などわけていた。
①ばん多かったのが確か、ユダヤ人。
↑同時のSSの制服など。
↑ユダヤ人収容者から没収したもの。
お金は勿論のこと、カバン、靴、貴金属、金歯などお金になるもの、その全てを有無を言わさず没収された。
珍しいものとして、義足などのその中に含まれていた。
ガス室もそうだが、こうやって当時使われていたものを生で見ると現実味が湧いてくる。
残忍な虐殺が、私の立っているこの場で当たり前のように行われていたのだ。
自分の今の生活では考えられなかった。
"あなたは価値があるためにだから私は、あなたに自分自身を提供する"
自由に職業を選べる環境はおろか、選択できることがあまりにも多すぎる。
それを自分は当たり前の権利として思っていたし、そう教わってきた。
しかし、その礎にはこのような残忍な過去があってこその今なのだと展示品やパネルを見て思った。
よく、外国の現状を見ると日本が如何に平和ボケであるかがわかるという意見を聞いたことがある。
旅の友人からもその台詞は聞いたし、私自身もそう思う。
今の日本が如何に住みやすく、平和かが見学の1時間足らずでも感じてしまった。
展示バラックを出て、犬が寄ってくる。
犬を撫でてやる。
その光景はなんともよくありがちな画ではあるものの、道路を挟んで向かい側にある有刺鉄線を見ると、その行為がいかに平和的な行為であるかを感じてしまう。
彼らはそこを出るのをどれだけ夢見たことか。
犬が気が済むまで、撫でてやり、次なるバラックへ進む。
<つづく>
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