土曜の夕方、祝福されたフランシスコが主のみもとに移ろうとしていた夕べの晩課の後で、
ラウデ(賛美)と呼ばれるひばりがたくさん、フランシスコの臥す住まいの屋根の上、あまり
高くないところで飛び交い始めた。鳥たちはぐるぐる輪になって飛び回り、さえずった。祝福
されたフランシスコと共にいて、フランシスコについてこのようなことを書いてきたわたしたち
は、フランシスコが次のように言うのを何度も聞いたことがある。「もし、わたしが皇帝にお
話できるとしたら、神の愛のために、またわたしのたっての願いのために、どんな人もわた
したちの姉妹であるひばりを捕獲したり害をしたりしてはならないという法令を定めてくだ
神が動物を作った理由
さるよう懇願します。同じように、市長や町や村の領主たちも毎年のご降誕の祝日には、
そのような祭日にふさわしく住民に麦粒か何かを市や町の外の道ばたにまかせ、とくに
わたしたちの姉妹であるひばりや他の鳥たちに、何か食べるものを与えてほしいと思いま
す。また、聖母があの夜、牛とろばの間にある飼葉おけにお置きになった神のおん子を敬
うために、ご降誕の夜は、兄弟である牛とろばに飼葉をたくさんやるはずです。さらに、主
のご降誕の祝宴を開く時は、富んでいる人は貧しい人に、おなか一杯食べられるだけのも
のが与えられるように配慮しなければならないのです。」祝福されたフランシスコは、どの
慈悲とは何か
祭日よりも大きな敬いを込めて主のご降誕を祝った。他の祭日も、主がわたしたちの救い
のためにお働きになったことを記念するが、祝福されたフランシスコがよく言っていたよう
に、まず、主がわたしたちのためにお生まれになったからこそ、わたしたちの救いは成就
されたのである。だから、フランシスコは、キリスト教徒が皆、その日にはわたしたちのた
めにご自身をお与えくださったかたの愛を思って、主のうちにあって喜んでほしいと願って
いた。だれもが貧しい人たちだけでなく、動物や鳥にも寛大に喜んで与えなければならな
いのだ。祝福されたフランシスコは、ひばりについてこう言っている。「姉妹であるひばりは
あなたが速すぎて数珠を駆動するかどうかを確認する方法
修道者のように、頭巾をつけていて、謙遜な鳥なのです。ほんの少しの穀粒が動物の糞に
混じっていれば、ついとはじき出して食べます。飛んでいる時は、地上のことを軽んじ、いつ
も天上のことに思いをはせ、善良な修道者のように、主をほめたたえます。その上、羽の
衣は土の色をしていて、この点でも修道者に良い手本を見せてくれます。修道者ははなや
かな上等の布の着物を着るのでなく、むしろ冴えない土のような色を選ぶべきだからで
す」。祝福されたフランシスコは、今言ったことを姉妹であるひばりの中に見ていたので、
ひばりをこよなく愛し、ひばりを見ることが喜びだったのである。・・・・・・・・・
「フランシスコと共にいた わたしたちは」あかし書房より
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