9月の聖人
1日 聖ジル修道院長
?-720年ごろ
ジルは、ギリシャのアテネの裕福な家に生まれた。幼くして両親に先立たれ、多くの財産を相続し、その地方でも有名な人物に成長した。しかし、こうした生活を嫌い、全財産を貧しい人に分け与え、自らはフランスのローヌ河口の洞くつで隠遁生活を始め、植物の根と水とミルクという質素な生活を送った。ある日、西ゴート王フラヴィウスが狩猟をしていたときに、ジルと出会い、その徳に心を動かされて修道院を建てる援助を得た。ジルのもとに多くの弟子が集まり、修道院は発展した。彼の墓の近くに建てられたサン・ジル街は、有名な巡礼地として知られている。彼は、てんかんや不妊症に苦しむ人たちの守護の聖人といわれている。
2日 聖パウロ(エジプト)修道士
228年ごろ-341年ごろ
パウロは、エジプトのデバイスに生まれた。ローマ皇帝デキウスの迫害下に、異教徒である姉の夫の密告を逃れるため、荒れ野に身を隠した。パウロは、洞くつの中で祈りと苦行の生活を送り、60年もの間、誰にも会うことがなかった。彼のもとに毎日、カラスがパンを運んだという。113歳になったときに、修道生活の父と呼ばれる聖アントニウスから見つけ出されたといわれている。
3日 聖グレゴリオ1世教皇教会博士
在位590年-604年
グレゴリオは、ローマの裕福な貴族の家に生まれ、哲学、法学などを学び、キリスト教の書物にも親しんでいた。
ローマ市長官であった父が、公職を退いて修道士になったことから、彼も家を改築してベネディクトの会則を基礎に、祈りの生活に励んだ。数年後、教皇ペラギウス2世のもとで助祭となり、コンスタンティノープルに教皇特使として派遣された。そこで6年間の任務を果たしつつ、ベネディクト会の修道士として生活した。
その後教皇に選出されたグレゴリオは、教会内外の教化に励み、教皇とは「神のしもべのしもべ」であると称して、教会のために力を尽くした。596年には、ベネディクト会のカンタベリーのアウグスチヌスと40名の宣教師をイギリスに派遣し、このため多くのアングロ・サクソン人がキ� ��スト教徒となった。また彼は、典礼と教会音楽の刷新にも取り組んだ。このときに作った聖歌の基礎が、「グレゴリオ聖歌」と呼ばれる。多くの著作を残したが、中でも「ヨブ記註解」などが有名である。彼の働きは、教皇権の強化と教皇領の拡大をもたらし、中世社会の実現に大きな影響を与えたので、「大教皇」の名を持っている。
4日 ヴィテルボの聖ローザおとめ
1235年-1252年
ローザは、イタリアのヴィテルボの貧しい家に生まれた。幼いころから貧しい人々のことを心にかけ、世話をし、ローザ自身は祈りの生活を大切にして苦行に励んでいた。たびたび聖母マリアが彼女に現われた。彼女は聖母の勧めに従い、1247年ころにフランシスコ会第三会(在俗会)に入った。
当時、ドイツ皇帝フリードリヒ2世と教皇イノケンティウス4世が争っていた。ローザは平和のために力を尽くし、各地を回りながら説教をして多くの人々を感動させ、信仰に立ち戻らせた。しかし彼女の影響力を恐れた皇帝は、1250年にローザをヴィテルボから追放した。皇帝が亡くなった後、故郷に戻り、クララ会のバラのマリア修道院の近くで数人の仲間とともに暮らした。
1258年に、彼女の遺体はバラのマリア修道院に移さ れたが、遺体は現在も腐敗せずに残っている。
5日 聖ラウレンチオ・ユスチニアノ大司教
1381年-1455年
ユスチニアノは、イタリアのヴェネチアの貴族の家に生まれ、信仰深い母親に育てられた。ユスチニアノは、名誉や快楽に心を引かれたが、19歳のころ回心し、司祭となって神に生涯をささげたいと望んだ。そして司祭の伯父がいる聖ジョルジョ修道院に入って、勉学、祈り、苦行の生活をし、物乞いをする勤めも果たした。司祭になった後、1433年にカステロの司教に任命され、教区改革に力を尽くし、51年には、ヴェネチアの初代総大司教に任命された。ユスチニアノ自身は、生涯キリストに倣った貧しい生活をし、亡くなるときも「イエス・キリストが堅い木の十字架で死なれたのだから」と言って、堅いベッドの上で息を引き取った。
6日 聖カグノールド司教
?-633年
カグノールドは、聖コロンバンとともに宣教に励んだ人物であり、コロンバンが建てたフランスのリュクセイの修道院の司祭であった。この修道院からは多くの聖人が出て、人々の信仰生活を導き7世紀には、フランスで最も重要な修道院といわれた。
コロンバンは、アイルランドの厳格な修道規則に従って儀式を重んじたため、フランスのメロヴィング王家の反感を買い、さらに610年にテオドリック2世王の不道徳な行為を批判したことで、フランスを追放された。そのとき、カグノールドもコロンバンに従ってボーデン湖の近くに移り、宣教師として働いた。 612年以後は、イタリアのボッビオの新しい修道院で暮らした。615年にコロンバンが亡くなった後、カグノールドはラオン市の司教となって、教会のために力を尽くした。
7日 聖ソゾン殉教者
4世紀ごろ
ソゾンは、シチリアに生まれで、名前をタラシオといった。羊飼いをして暮らし、キリスト教の迫害下にあっても洗礼を受け、名前を洗礼名のソゾンと変えるほど熱心であった。ある日、ソゾンはキリストの夢を見、羊を敵から守るための武器を捨て、羊飼いの杖だけを使うように命じられた。彼は、町の神殿にある金の偶像を羊飼いの杖で砕き、貧しい人々に与えた。ところが、あるキリスト信者から偶像を壊したとの訴えがあったので、ソゾンは名乗り出て捕えられた。彼は役人からのどんな責め苦にも屈せず、その勇気は役人たちを感動させ、ソゾンを赦そうという思いに至らせた。群衆のために笛を吹くことを条件に釈放すると言われたが、彼は神のためにしか笛を吹かないと拒否したため、処刑された。
8日 聖アドリアノと聖ナタリア殉教者
?-304年
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