2012年5月15日火曜日

脳の仕組みと脳内物質


1、脳の仕組み
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脳が「呼び起こす」こころ、考える知性と感じる知性

私たちの脳の中には、それぞれの個別のこころを呼び起こす三つの脳があり、それぞれが互いに交錯したり、葛藤したりしながら複雑多岐な感情を引き起こしています。
●理性的、理論的なこころ=頭の知性をつかさどる大脳新皮質というところで作り出されます。
●感じるこころ。喜びとか悲しみといった人間的なこころ(feeling)や、例えば性欲などの本能的な欲求に根ざした感情(emotion)=これは大脳の周辺部にある大脳辺緑系の古皮質というところで呼び起こされます。個々で呼び起こされる感情は、いつもなんらかの行動をはらんでいるため、特に情動という言い方をして感情(feelin g)と区別しています。
●本能的な行動に根ざしたこころ=大脳辺緑系の旧皮質というところで呼び出されます。自分の縄張りや安全の感覚、生活パターンや習性や日常動作などの本能的な行動に根ざしたものです。
☆私たちの脳はこの三つの脳が一体となっていることを理解する必要があります。
☆私たちは、外部からの刺激に対して、いつも頭で考えて行動を決めていると思い込んでいます。ところが、得体の知れないものを感じたり、見たりしたとき、不安や恐怖のあまり反射的に身構えたり、その場から全力疾走で逃げ出そうという衝動に駆られることが少なくありません。頭で考えて正体を認知するのは、その次です。恐怖や不安は、いつも行動をはらんでいます。それが情動です。
☆情動には、恐怖や不� ��のほかに、快感、不快感、怒りなどがあります。

■本能的な欲求こそが、私たちを仕事や遊びに駆り立てる意欲の源にほかなりません。まさに気力、活力の源なのです。また、恋愛や結婚、性愛の源でもあります。情動は生きていく上で基本的に必要な欲求に根ざしているものだけに、喜びや悲しみといった人間的な感情を圧倒して、その人を衝動的な行動へと突き動かしてしまいます。
このような感情の爆発は、神経がハイジャックされるために起こります。大脳辺緑系の一部が緊急事態を宣言し、脳全体を制圧してしまうのです。辺緑脳によるハイジャックは瞬間的に、思考をつかさどる大脳新皮質が働きはじめるよりも一瞬早く発生します。そのため、大脳新皮質は事の是非を判断するどころか、全体の状況を把握する暇� �えなく、こうしたハイジャックが終わった後に本人にも何が起こったのかよく分からないというのが特徴的です。

●人間の心は言葉という形とは違います。扁桃核の言葉にならない情動こそ心の本質です。人間の心と心が通じるとは、この扁桃核がもっているその人の個性あるいは本質に共感することです。それは言葉としての共感ではなく、情動ととしての共感です。大脳新皮質からでる言葉は知識としての言葉であり、心がこもっているという理解は扁桃核の感覚が共感することです。それはその人の体全体から相手に伝わるものです。言葉としての形としてではなく、表情やまたは言葉にならぬ雰囲気や「霊」と表現できるような、現代的表現では空気感といったもので伝わるものです。

大脳新皮質の知的心は扁桃 核や大脳辺緑系の情動を制御し、感情の暴走を止め、理性的な行動を取らせ、物質的現実的な利益をもたらします。しかし、それは心が通じるという、人間の心の本能欲求を満たすものではありません。また愛情が伝わるものでもありません。しかし、大脳新皮質のコミュニケーションは実際的なことや、物質的な仕事に関して、円滑に処理され、仕事をするために大切なことです。ここに扁桃核や大脳辺緑系の言葉によらない情動の情報の伝達や共感、共有が加わることで、その人間関係の質とその深さはより高く深いものとなります。そしてそれが文化の広さ大きさ深さとなります。そしてそれが社会のなかでどれだけ互いに共有できるかで社会の文化基準や、社会感情、環境の深さ広さとなります。つまり、大脳新皮質、辺緑系、扁� ��核それぞれの関連性と相関性がその人の人格の広さ深さとなります。そしてそれを訓練し、成長させ学習することが可能です。それは大脳新皮質の情報を言語に変換して記憶する機能が大役を果たします。扁桃核の言葉にならない情動の情報を言葉に変換して認識し、それを言葉によって制御し、そこから得た感情情報を辺緑系や扁桃核に再入力し、情動記憶をより肯定的プラス反応として記憶庫に入れ替えることができます。それは認知療法とも言えるものですが、誰でも簡単に行えるセルフサポートです。特に心の病を抱える人も、よくその仕組みを理解することで、自分を圧倒してしまう恐れや不安という情動を、言葉で分解し、それに肯定的な言葉をプラスして変性させ、より行動的積極的情動反応をもたらす情動記憶として扁� �核や大脳辺緑系に記憶されます。
具体的には、言葉にならない、意味不明の不安感、それを言葉に置き換えてみて、パズルをはずすようにばらばらにしてみます。そしてそれにそれを肯定的な思考に換える言葉をつけるのです。「明日が不安だ!」「明日は不安だが、今日に意識を集中させ、今日を生きよう」というふうにです。その時、参考にできる図書がたくさんあります。たとえば聖書もそれにあたります。


例え:、「その不安はどこからくるのか?」その源を突き止めます。それが孤独になる不安だとしたら、そこに大脳新皮質に学習によって記憶した、『だれもが孤独である。しかし誰もが誰かを必要とし、あなたの隣人も心の奥底では孤独であり、共感できる人を求めている。それは人間の顔の表情というものによってごまかされてはいけない、それはあなたが直感によってあなたの判断で勝手に決め付けていることだから。一言言葉をかけてみよう、孤独なのはあなただけでなく、多くの人が孤独なのだから。幸せは幸せを他に与えることから来る』このような言葉をその意味のない言葉にならない孤独感と不安感に組み込むのです。そしてそれは人の表情によって、いつも勘違いをしている自分の考え方にあるという答えに 導き、『自分の情動は真実と違っている』という結果に言葉として導き、それを『最初の他の人の印象を言葉や表情でなく、誰しもが孤独だ・・・だから愛を与えよう』という情動の印象に置き換えて、それを言葉としてではなく、感覚として辺緑系に記憶し、扁桃核の記憶庫に記録します。
実際にそのような状況に出くわしたとき、それまでなら相手の表情からすぐに自分が孤独感や不安感を抱いたのに、その学習により、孤独感や不安感の情動が出てくる前に、(新しく記憶した、その人の表情や言葉の情報によって反射的に発生する情動の変わりに)その人に幸せにしてあげたい、愛を注ぎたいという情動が先に出てくるようになります。それが認知療法です。

1、大脳新皮質
は巨大な記憶装置です。耳や目、鼻、皮膚といった感覚器官を通じて得た情報を記録して保存しています。また、この記憶を検索することによって、外部から入った情報がどういうものであるかを総合して理解します。同時に、自分の内部から湧き上がってきた感情も検索して、その感情を理解することもしています。

右脳と左脳:大脳新皮質は、左側の左半球と、右側の右半球に分かれています。
○目から入ってくる「像」の情報=右半球 
右脳に記憶されるのは直感的な記憶です。ものごとの全体をイメージとして把握したものが記憶されます。
○音やことばの情報は=左半球
左脳は言語やそれに支えられた論理といったものを記� �していて、外部から入ってきた情報を論理的に考え、結論をだすことで頭というと左脳を指すことが多い。
●この左右二つの脳は、左右を結ぶ2億個以上の神経組織が集まった脳梁を通じて、お互いにダイレクトにコミュニケーションをとることもあります。この場合、右脳は言葉によらないデータを送り、左脳はそれを言葉として処理します。

☆右脳型は「臆病」、左脳型は「楽天的」
何かを考え事をしているときの、あなた自身の姿を思い浮かべてください。ポイントは目の動きです。

考え事をしているとき、あなたの目は左を向いていますか、それとも右を向いていますか?》
これによってあなたの性格の基本的なことがわかります。
○私たちの大脳は右� �と左脳とに分かれいますが、右脳が興奮(活性化)しているときは目は左に働き、左脳が興奮(活性化)しているときは目は右に動きます。手に左利きと右利きがあるのと同じように、何か考え事をしているときに目を右上方に向けている人は左脳の活動が活発で、左上方に向けている人は、右脳の活動が活発というわけです。
○大脳新皮質には、大脳辺緑系が呼び起こす情動をコントロールする部分があります。前頭前野という部分で、ここも左右に別れています。


参考文献
○ウィスコンシン大学の心理学者リチャード・ディビットソンによれば、前頭前野の右側より左側の方が活発に動いている人は陽気な気質で、ものごとを楽天的にとらえ、人生を大いにエンジョイできます。一方、前頭前野の右側の方が活発に働いている人はネガティブでブルーな気分に陥りやい陰気な気質で、トラブルに直面すると動揺しやすいといいます。

何かを考えているとき、目が左に動く人は神経過敏な内向性の性格。こういうタイプの人は幼児期に過保護・過干渉・過支配に育てられてきた傾向があるために、恐怖心や不安を克服するチャンスを持たないまま大人になっているケースが多いです。こういった性格の人との距離を縮めるためには、できるかぎり相手の立 場に立ってものごとを考え、相手の立場に立った言動をすることがポイントです。少しでもこちらの意見を押し付けたり、支配の気配を見せたら、たちまち緊張して身もこころも閉ざしてしまうからです。
またあなた自身が過敏で内向的な性格だとすれば、自分は情動に左右されやすい性格だということをまず自覚することが大切になります。

つまり右脳の活動が活発な人は「内向的」で、不安を内側に閉じ込める傾向が強く、何事にも過敏で心身症的な症状を訴えることも多いという傾向があるというのです。
・何かを考えているとき右を向く人は数字に強く、左を向く人は人文学的分野に興味を抱く。
・右を向く人は正確で首尾一貫するようなことがらが得意で、左を向く人は自由でイメージ的なことが得意。
・右� ��向く人は、葛藤に対して積極的に行動で対処し、左を向く人は、葛藤に対して内側にこもりがちで、しばしば心身症の症状を示して、自分を守ろうとする傾向がある。
・右を向く人は、情動や情動行動を起こすことが少なく、左を向く人は嫌悪や恐怖といった情動行動を起こすことが多い。
・右を向く人は、独断的な態度が強い脅迫的人格型で、左を向く人は主観的経験と感情に集中する傾向があるヒステリー性人格型。
・右を向く人は、幸福感のようなプラスの感情や興奮で、より頻繁に眼球を右へ動かし、左を向く人は、情動的な疑問、恐怖、ストレス状況に反応して眼球を左側に動かすことが多い。

○脅迫型とヒステリー型
・脅迫型は、自分を妨害する「感情」を抑圧する強い傾向があり、ヒステ リー型は、自分を妨害するような「考え」を抑圧する強い傾向がある。
・脅迫型は、観念的な方法ですべてのことを処理する傾向がある一方、ヒステリー型は、情動面が不安定。
・脅迫型は、論理的、演算的な方法で問題を解決しようとし、ヒステリー型は、具体的な刺激に結びついた方法で問題を解決する傾向がある。

☆これらの研究報告から、右脳を良く使う人は、左脳を良く使う人より、神経が過敏で、多分に神経質な性格だということがいえるでしょう。反対に左脳をよく使う傾向のある人は、ものごとに動じることが少ない楽天家で、何事も行動的で積極的な性格だといっていいでしょう。

2012年5月13日日曜日

北風から: カルト・異端


 ローマ・カトリック教会のような巨大な組織体で、各種の機関があるのを除くなら、プロテスタントの諸教会は、教派の中でも各教会が独立しているので、なかなか教派として統一した見解を出すのに時間がかかったりします。

 教会の任務や目的は『キリストの命に従って、すべての人に福音を宣べ伝え、教会を建て、愛による奉仕をなし、これらのことによって神によって仕えることを目的とする。』(「日本福音ルーテル〇〇教会規則」各個教会規則の雛型より)であることから、各種団体を精査し、異端を特定したりすることは教会の本来の任務と目的でないことから、厳密に区分されたり、規定が示されたりしてはいません(あるのかもしれないが、信徒にはつたわってはいない。)。

 そのなかにあって、教派によっ て正統とする教会や教派もあれば、異端として退けるものもある団体として、セブンスデー・アドベンチスト教団(通称SDA)があります。

2012年5月11日金曜日

THINK/ FIELD AND NETWORK ~地域貢献・地域づくりを目指して~


FIELD AND NETWORKが目指す モチベーテッド・ソサエティ
グローバルに考え、地域で活躍

人はひとりでは生きていません。人と人とのつながりの中で、無数の物理的・精神的なものを交換することで生きています。この相互の交換関係の集積が、すなわち社会です。

しかしながら社会の複雑化・細分化によって、現代社会ではこのような相互の交換関係をなかなか実感しづらくなってきています。効率化を追い求めて機能してきた、TOP DOWN型の社会システムによる弊害と言えるでしょう。この相互の交換関係が見えない危機(= ネットワーク・クライシス )こそが、社会全体のモチベーションを低下させる根本的・潜在的問題であるとFIELD AND NETWORKは捉え、そこから解決策を見出していきます。

2012年5月10日木曜日

教理説教1  神を知る――啓示1 - 小海キリスト教会牧師所感


教理説教1  神を知る――啓示1

1コリント2:11、ローマ1:18−23 2テモテ3:15、16

2012年1月15日 小海主日礼拝

 物事を正しく知るには、「木を見て森を見ず」ということになってはならないし、また「森を見て木を見ず」ということになってもなりません。「木を見、また森を見る」ことが必要です。聖書の学び方には二通りあって、通常、聖書の各書を順々に味わって、聖書全体の教えにいたるようにという道、聖書全体を主題別に取り上げて部分にいたる道があります。いずれの方法にしても、木と森の両方を見ることをねらっています。いつもは聖書各書を連続的に解き明かすという、木から森にいたる方法をとっているのですが、年末から祈ってまいりまして、今年はこれからしばらくじっくりと聖書の教えを主題別に学んでまいりたいと願っています。森から木への道です。組織神学的な学び方ということです。

(ただし、聖書は神のことばであるという信仰のない聖書学者の考え方では、各書、あるいは各書の史料の分析にエネルギーを注いでいますから、木のみ、さらに枝のみを見て、森は見ないということになります。彼らにとって森を見ることはナンセンスなのです。)

 今後の、おおよその流れを予め申し上げておけば、<啓示、神、人間、キリスト、聖霊、教会、終末>という流れになります。今日は啓示についてです。「啓示について」では、私たちはどのようにして神様と神様のみこころを知ることができるか、神様はそのことをどのように教えてくださったのかということを学びます。

1. 神を知り、神に知られる

「2:10 神はこれを、御霊によって私たちに啓示されたのです。御霊はすべてのことを探り、神の深みにまで及ばれるからです。 2:11 いったい、人の心のことは、その人のうちにある霊のほかに、だれが知っているでしょう。同じように、神のみこころのことは、神の御霊のほかにはだれも知りません。」1コリント2:10,11

 私たちが何かを知るという場合、知る対象が二通りあります。一つは物が対象である場合で、もう一つは人格があいてである場合です。物が対象である場合には、知るのは私の側であって、物はただ一方的に知られるということになります。物が対象であるばあいには、私たちはそのものを外側から観察してみたり、重さを量ってみたり、あるいは切り刻んで顕微鏡で調べたりなどと、いろいろな方法で詳しく調べることができます。

 ところが、人格が相手であるばあいはどうでしょうか?たとえばあなたが隣人のことをもっと知りたいと思って、体重や身長を測定したり、ばらばらにして顕微鏡で調べたりしても、その隣人のことを知ることができるでしょうか。できるとしても、それはその隣人の物質としての側面を知りえただけのことで、その隣人の人格を知りえたわけではありません。人格を知るためには、ふたつのことが必要なのです。

 第一は、その人格が、自ら心と唇を開いて、その心のうちにあることを話してくださるということです。「人の心のことは、その人のうちにある霊のほかに、だれが知っているでしょう。」とみことばが言うとおりです。

2012年5月8日火曜日

投げ出される命


  • 陛下の英国ご訪問
    08 5月 2012 8:00 PM | No Comments

    皇室への評価は国内より海外の方が高いのではないのかしら。 ご健康も気になりますが閣議決定により、今上陛下は来週英国へご訪問されます。 英国の王室より、格式は上だと言われます。 決して英国を卑下するわけではありませんが、英...

    Read More
  • 引き継ぐ命ですか。
    08 5月 2012 6:53 PM | No Comments

    公がこの生命をポスティングを認めるシステムを五年前から批判してきた。 81人の命がすくわれたと考えること可能かもしれないが、わたしは、納得はできない。 赤ちゃんポスト、引き継ぐ命 開設5年で計81人 熊本 生まれてきた子...

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  • アクセル・ワールド
    08 5月 2012 6:00 PM | No Comments

    現在放送中のアニメ。 1~3話までは面白いとは思わな勝ったのだけれども、4話目あたりからの展開で興味がひかれたので、録画を見直す。 黒雪姫、ハル君。どちらもなかなかいい感じだ。これを1クールでどうまとめるのか少し不安だが...

  • 2012年5月7日月曜日

    キリスト語録8:キリストが来た理由 | 布忠.com


    「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。」(ヨハネ福音書3:16)

    イエスと問答するうちにパニックになってしまった教師ニコデモ。そんな彼にイエスは、「はっきり言っておく。わたしたちは知っていることを語り、見たことを証(あか)ししているのに、あなたがたはわたしたちの証しを受け入れない。わたしが地上のことを話しても信じないとすれば、天上のことを話したところで、どうして信じるだろう。天からくだって来た者、すなわち人の子のほかには、天に上った者はだれもいない。」と筋道をたてて説いていきます。そして、ユダヤ人なら誰もが知っている"モーセの蛇"に自分をなぞらえるのです。

    「そして、モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない。それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである。」

    2012年5月5日土曜日

    上野公園でみたホームレスの礼拝 - キリスト者として今を生きる - Yahoo!ブログ


    すみません。。。
    笑いながら読んでしまいました。
    >豊かな階層が多い(気がする。)。。。気がするのではなくその通りのような。。。気がします(笑
    それでいて創価学会やプロテスタントのように私財を投げてまで寄付をする人も少ないです(爆
    >裕福な家庭の奥さまで、ガーデニングなんかに精を出しながら。。。のくだり、
    STARさん。。。面白すぎます。。。
    なんだか私も情けないカトリック者ですが(^^;
    伝道ってなんでしょうかね。
    私は私自身の行き方かしら???なんて思いますがその部分から逃げているのかもしれません。

    2007/11/3(土) 午後 8:52

    あまのじゃくの仏教者は、ホームレスに説教する人は嫌いです。宗教家であっても、政治家であっても、慈善家であっても、庶民であっても、誰であってもです。そんなことをする暇があれば、黙って彼らの前に温かい食べ物かわずかなお金を落として、気づかぬふりをして去ればいい。それができなければ、そっとしておいてやれと思います。

    2007/11/3(土) 午後 9:03

    Starさん、絵より印象的な光景にぶち当たってしまいましたね。私もきっと足を止めてしまったと思います。私もうしどしさんの意見に賛成だなあ。上の飢えの上野の光景は犬にエサ与える時の、「待て」「よし」みたい。ところで本当に、ごミサ、ゴミさ、なんてマジで言ってるの?

    2007/11/3(土) 午後 9:31

    まぁ、見て見ぬ振りするよりは、まだいいとは思いますが、恩着せがましいのも何だか気持ちフィットしませんねw

    2007/11/3(土) 午後 9:32 [ zgenech ]

    ひねくれ者で、何の信仰も今のところもたない私ですが、聖書の祈りの言葉や般若心経はそらんじています。PCのヨコには仏壇もあり、毎日灯明もともし、毎年初詣にも。
    だからなんなの・・そうです。ただの気休め、かも知れません。
    宗教は むずかしい。でもまったく否定する気にはなれないです。
    伝道に歩く方は、自分ひとりが救われるのではなく 他の人もすくわれたらいい、と心から思っているということは理解できます。そのことは尊敬します

    心がすくわれること。人に寛容になれることが宗教のメリットかな。と思っています。(メリットを求めて信仰に入るわけではないでしょうけれどね)
    でも、そうじゃない宗教がらみの紛争や人殺しが多くて、日本人はスピリチュアル系に逃げているように見えます。それもなんだかなあ。

    お天道様に恥ずかしい、と言う感覚のなくなった無神論者の群れは・・・軌道を逸してしまう時を迎えないか。それは恐ろしい気もします。心の心棒がない、ぶれてしまう。そういう集団は、安易に、暴走しないかなあ。なんて考えます。

    2007/11/3(土) 午後 9:41

    starさん、こんばんわ、僕もわけあって上野のホームレスの人達と知り合う事が10年以上前にありまして、その人達と話をした事が有るのですが、毎日が生きる事で必死だとおっしゃっていました。冬の寒い日などは寒くて寝ているどころではなかったそうです。僕は宗教はよくわからないのですが、アメリカのケネデイ大統領がアメリカ史上唯一のカトリック教徒で後はみんなプロテスタントらしいのですが、なぜアメリカではカトリックの人間が大統領選挙に勝てないのかその訳もわかりませんが、日本のキリスト教会が、こうゆう困った人達を何かしら援助しているのは、大変素晴らしいことだと思います。そういえば日本の中核派などは、ホームレスの人達にパンや飲み物を配って、支持を集めているそうです。日本人の夢や希望 などが無くなって、社会が複雑になってくれば、うつ病が増えたり、自殺も増えたりします。ましてや、明日もどうなるのかもわからなければ、よけい不安になります、宗教が良いとは言いませんが、オウムや統一教会のようにカルトでなければ、宗教にも人をひきつけるものがあると思います。

    2007/11/3(土) 午後 9:46 [ s_m*k*cho ]

    前のコメントでも書きましたが、本来なら政府自民党が困った人達を助けるべきなのに、財界や金持ちのほうだけを向いており、貧乏人には生活保護も出さない、そして改正する必要も無いのに憲法9条を改正すると言って、日本が戦前のような、軍国主義に向かおうとしています。このような状態に
    なればみんな危険を感じ取って、選挙で自民党が負けるのも当然の事だと思います。ただアメリカのように宗教団体が力を持って大統領さえ動かすようになったら問題と思います。ただ日本ではそれだけの権力は宗教団体は持たないでしょう、今日は、なぜアメリカではカトリックの人間が大統領選挙に勝てないのか、考えてみたいと思います。

    2007/11/3(土) 午後 9:46 [ s_m*k*cho ]

    のりちゃん、笑ってくれてありがとう(って礼を言ってる場合か。)上品なカトリック教徒は私財を投じたりしないんですよ、で、私財を投じることに対する反感あるでしょう、世間に。実際問題、それで家庭を壊したりするし。日常生活のバランスを崩さない程度になら信仰は許容されるけど、日常生活を崩したら非難され、「カルト教団」になるんじゃないかなあ。。。で、宗教っていうのは日常生活を壊す起爆剤ですからね。でも日常生活を全く壊さない信仰ってのもなんなのかなあとは思います。

    2007/11/3(土) 午後 11:55

    うしどしさん、私がこの光景に抱いた違和感とひっかかりもそこですね。けっこう強烈な光景でした。。。

    2007/11/3(土) 午後 11:58