2012年6月3日日曜日

哲学書簡 ヴォルテールとクエーカー教徒 | RE+nessance


楓のマントノン夫人の記事で、キエティスム(クワイエティズム)事件を起こしたということを知り、ヴォルテールのクエーカー教徒を思い出した。

なるほど、マントノン夫人は質素で倹約な宮廷生活と唱えていた。

「哲学書簡」(Lettres philosophiques ou Lettres anglaises)
アムステルダム出版の口絵部分

僕の好奇心をそそるマントノン夫人
*1 これ以上に貴賓があり、人の心をとらえてはなさない物腰に出会ったことがない。

マントノン夫人に深くお辞儀をした。
*2 「私は、自分の至極もっともな好奇心があなたの気分を害するとこはないと、またあなたの生活についてくわしくお教えいただけるものと信じております。」

こうして私はマントノン夫人に尋ねはじめた。
「ほかの人たちと少々違った服をお召しのようですが。」

*3 「これは、彼らと同じになってしまわないよう、自分を戒めることにやっていることなのです。彼らは装飾の浪費、新しい流行の迎合、華美を求める虚栄と優越の標章をつけますが、わたしたちはキリスト教の謙虚の標章をつけているのです。」

私は尋ねた。
「以前の宮殿に比べ様子が違うようですが。」

*4「わたしたちは娯楽の集まり、見世物、賭け事を避けます。そのわけは神がお住まいになるべき心をこれらの取るに足らないことで埋め尽くすとあっては、あまりに自分があわれだからです。わたしたちは決して神に誓うことはしません。法廷においてさえそうです。」

私は尋ねた。
「モンテスパン侯爵夫人との確執はないのですか。」

*5「いと高き神の御名が人間のくだらない言い争いで汚されてはならないというのが、わたしたちの考えです。」

なるほど、マントノン夫人は無地の暗いドレスを身につけ、髪はシニヨンでまとめているだけだ。信仰の厳しさが彼女を報復の感情を払い、ルイ14世は彼女を確固不動の人と呼び、彼女の寛大さに敬服し、宮廷の華やかさが失ったのは国王の放蕩や浪費がおさまり、落ち着いた暮らしぶりになったのだ。

「マントノン夫人、私は誤解をしていた。
国王がサンシールの乙女たちと呼んだ学院は、
あなたが性行為を避ける手段としての
王の愛欲を満たす女性の訓練学校ではなかったのですね。
そしてナントの勅令の廃止で虐殺された数万人は
あなたの寛大さによって、サン・バルテルミーの虐殺より
わずかなものとなったのですね。」

最後に尋ねた。
「あなたの宗教は、」

僕はそこで夢から覚めてしまった。

なんとマントノン夫人は、ヴォルテールが対話したクエーカー教徒のアンドルー・ピットと同じ言葉を僕に伝えたのだ。


スーフォールズの恵みコミュニティ教会
哲学書簡 ヴォルテール 第1信 クエーカー教徒について
どく風変わりな宗教の人たちの教義と歴史とは良識ある人の好奇心をそそるに違いないと私は思った。

サルバドール・ダリ 「ヴォルテールの見えない胸像」
(ヴォルテールの見えない胸像がある奴隷市場)
このヴォルテールの胸像は前記事サロンの胸像と同じ?


ヴォルテールの最初の書き出しだ。「ひどく風変わり」というのがクエーカー教徒の特徴だ。

本記事の「*1」は、イギリスのクエーカー教徒のなかでも最も知られて理うアンドルー・ピットに対しての賞賛だ。

食事のあと、ヴォルテール(V)はこの上品な老人(A)に尋ねはじめる。
(引用は要約のほか、省略あり)

V:「あなたは洗礼を受けていらっしゃるんでしょうか。」
A:「いいえ、私は受けていません。私と同じ宗派は皆そうです。」
V:「なんと、とんでもない話だ!」
A:「わたしたち少量の塩と冷水を頭に浴びせることでキリスト教徒ができているとは思っていないのです。」

神を神とも思わぬ言葉に顔色も変わって問い続けた。
(この言葉への感動のあまり顔色が変わって問い続けた、というところか。)

A:「キリストはヨハネの洗礼をお受けになられたがご自身では誰も洗礼をなさってはいません。私たちはヨハネの弟子ではなくキリストの弟子なのです。」また、「わたしたちは洗礼の儀式をおこなうことも責めたりもしていないのです。」そして、「あなたは割礼を受けていますか?」

ヴィルテールは残念ながら割礼(性器切断)の栄誉に預かっていないと言い逃がれる。

さらに狂信者に意義を唱えるのを控えたとのたまう理由に、もっぱらフランスを風刺する。

"訴訟を起こしている人にそ訴因が不十分だといったり、霊感を得たという幻想家にあれこれ述べたりはならないことだから"と。

ヴォルテールの面白さは、反語的讃辞� ��揶揄が含まれているところだが、イギリスのクエーカー教徒の口を借りながらフランスの高等法院や狂信的宗教権威を非難しているわけだが、いちいちヴォルテールの貴族趣味がホント、ハナにつく。

V:「聖体拝領のことですが」ヴォルテールは話題をかえる。
A:「行っていません」

ヴォルテールは大げさに驚く。

そこでロバート・バークリーの本をすすめられ、その本を読むことを約束する。

「哲学書簡」(Lettres philosophiques ou Lettres anglaises)


アブラハムとサラの物語の主なポイントは何ですか

Avoue, dit-il, que tu as eu bien de la peine à t'empêcher de rire quand j'ai répondu à toutes tes civilités avec mon chapeau sur ma tête et en te tutoyant ; cependant tu me parais trop instruit pour ignorer que du temps du Christ aucune nation ne tombait dans le ridicule de substituer le pluriel au singulier.

アンドルー・ピットは、「"君"の礼儀正しい態度に帽子もはずさず、"君"とよびかける私にさぞ笑いをこらえたことでしょう。」と話し、「わたしたちは国王にも靴直しにも等しく同じに話しかけ、誰に対しても頭を下げない。隣人愛だけです。」

この翻訳では二つ目の「君」が、たぶん「汝」だと思う。彼の言葉から国王でも靴直しでもとあるように、ここでは平等立場をあらわし、クエーカー教徒の平等主義の立場から親称である"thou"(汝)の使用はこの教徒の特徴だ。

Ce ne fut que très longtemps après lui que les hommes s'avisèrent de se faire appeler vous au lieu de tu, comme s'ils étaient doubles, et d'usurper les titres impertinents de Grandeur, d'Éminence, de Sainteté, que des vers de terre donnent à d'autres vers de terre, en les assurant qu'ils sont, avec un profond respect et une fausseté infâme, leurs très humbles et très obéissants serviteurs.

「汝という言葉をのかわりに複数形の敬語で呼び合ったり(you のこと)、虫けら同然のものに同類の虫けらが、猊下、台下、聖下と常識はずれな称号を分をわきまえずに用いることで、自分たちが深い尊敬とともにうそ偽りによって、自分たちが深い尊敬とともに恥ずべき忠実な従僕であると相手に断言しているのです。」

ここではフランスの絶対王政も非難しているのか。

ver de terre ってミミズなんだけど、ここでは虫けらになっている。面白いことにver de terre には「辻君」という意もある。娼婦のことだ。公妾に対して侮辱の言葉として使ったのが、カトリーヌ・ド・メディシス。ヴォルテールの時代の公妾はポンパドゥール夫人で、彼は昔からの交流もある彼女を売女と言っていたが、この翻訳で彼女に当てはまらないこともない。

この虫けらのあとが、記事の最初に夢のマントノン夫人が答えた「*3」〜「*5」の話になる。 これはクエーカー教の基本姿勢を示しているわけだ。

*4「わたしたちは娯楽の集まり、見世物、賭け事を避けます。そのわけは神がお住まいになるべき心をこれらの取るに足らないことで埋め尽くすとあっては、あまりに自分があわれだからです。わたしたちは決して神に誓うことはしません。法廷においてさえそうです。」

ここは、イエスの言葉「一切、誓いをたてるな」に忠実だ。


新約聖書を翻訳した建国の父

前記事ディドロとダランベールで紹介したマダム・ジョフランのサロン
本記事使用のダリの作品の胸像と同じものを描いていると思われる。
「百科全書序論 理性について by ダランベール」で配置を明記している。


さて、マントノン夫人に再度登場してもらう。彼女はキエティスム(クワイエティズム)に傾倒したということは間違いない。

イギリスのクエーカー教徒はキエティスムという言葉をある場面において用いるという。だが、クエーカー教徒がキエティスムというわけではない。

つまりマントノン夫人はキエティスム、それは静寂主義であるが、彼女はクエーカー教と同じ主義を取り入れたということに、僕は疑問を持ったわけだ。

クエーカー教徒はヴォルテールとアンドルーの会話を基にすると
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キエティスムとは
wikiによると知性ある静寂と内面的な受動性を重視する。これは哲学で、教徒にはあたらない。

1693年にはマントノン夫人はギュイヨン夫人と決別している。その改宗したといわれている宗教は何だったんだろ。そしてフランスにはおよばなかったクエーカー教。

このクエーカー教はアメリカに流れていく。

「哲学書簡」(Lettres philosophiques ou Lettres anglaises) は、ヴォルテールがイギリスにいかざる得ない状況に陥り、そこから親友に手紙を書いたことに発想を得、モンテスキューの「ペルシア人の手紙」(1721)のように、書簡形式を用い、おなじように政治、宗教、思想、科学、風俗に対する批判をちりばめた1冊だ。

悲劇、ベーコン、ニュートンなどがある。パスカルのパンセなど、批判的注釈がボルテールによって書かれていて、これが笑わせる。

ヴォルテールの胸像

かたちは同じだが、サロンの胸像は若かった、顔が。
ジャン=アントワーヌ・ウードン(Jean-Antoine Houdon)



第2信
聖職者不在
クエーカー教徒の教会にいく。無言の行が15分続き、いきなり一人がわけのわからないことを話はじめる。霊感を受けたか狂気なのかわからないが教徒は誰も咎めることなく聞くだけだ。散会後、ヴォルテールは再び質問をする。「聖職者はいないのですか。」と。「神は"ただで与えたものはただで与えよ"と言っています。もしも福音書を値切り、精霊を売り物にし、キリスト教徒の会合を商店にしてよいでしょうか。黒い衣服を着たものども(聖職者のこと)に金銭を与えることをけっしてしません。」という答えが返ってきた。

第3信はクエーカー教徒の歴史
クエーカー教徒の歴史である。神がかりの気狂いフォックス。戦争反対、聖職者反対を唱える。あるとき投獄され、フォックスは帽子のまま判事の前に立ち、平手打ちを食らう。フォックスはもう一方の頬を出し、こちらの頬も打てという。判事は彼に宣誓をさせる。フォックスは誓いを断る。判事に語るフォックスは彼を「」とよび、怒らせる。

ある日奇跡とよばれる一件が起こった。「神はやがて汝を罰したもう」と、人だかりのなか、ある判事に告げる。その二日後脳溢血でなくなった。これが多くの教徒を集めたわけだ。チャールズ二世の治世の迫害は信仰ではなく、税を払わないことと「汝」とよぶことだった。

アンドルーが帽子を取らず、汝とヴォルテールに呼びかけ、誓� �をたてないことは、始祖フォックスの行いだったわけ。迫害はロバート・バークーリーの「クエーカー教徒の弁明」によりおさまる。

第4信はクエーカー教の海外伝道
ざっと読んだだけだが、絶対王政時代の植民地政策を揶揄していると思われる。ディドロのブーガンヴィル航海記補遺第2章にあるように、征服者の島や人の略奪と、クエーカー教徒の移民による伝道を比較しているようだ。まずは最初に美貌の青年ウィリアム・ぺンが登場する。

彼はアムステルダムで、デカルト哲学の理解者エリザベト王女に教えを説く。さらにドイツ。ウィリアム・ぺンは父の財産に含まれていた国王からの債務返却のかわりにアメリカの一州の所有権と王権を授ける。ペンの名をとったペンシルヴァニア。

原住民たちを征服せず、ブーガンヴィルが征服したもとのタヒチのように、嫉妬もない隣人愛、平等な公民、そして司祭と武器のない土地、君主を帽子をかぶったまま君とよぶ。

さてと きが流れると黄金時代はどうなったのか。その子孫たちは。続きはどうぞ「哲学書簡」を読んでください。

参考:世界の名著 「哲学書簡」 責任編修 串田孫一



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