すみません。。。
笑いながら読んでしまいました。
>豊かな階層が多い(気がする。)。。。気がするのではなくその通りのような。。。気がします(笑
それでいて創価学会やプロテスタントのように私財を投げてまで寄付をする人も少ないです(爆
>裕福な家庭の奥さまで、ガーデニングなんかに精を出しながら。。。のくだり、
STARさん。。。面白すぎます。。。
なんだか私も情けないカトリック者ですが(^^;
伝道ってなんでしょうかね。
私は私自身の行き方かしら???なんて思いますがその部分から逃げているのかもしれません。
あまのじゃくの仏教者は、ホームレスに説教する人は嫌いです。宗教家であっても、政治家であっても、慈善家であっても、庶民であっても、誰であってもです。そんなことをする暇があれば、黙って彼らの前に温かい食べ物かわずかなお金を落として、気づかぬふりをして去ればいい。それができなければ、そっとしておいてやれと思います。
2007/11/3(土) 午後 9:03
Starさん、絵より印象的な光景にぶち当たってしまいましたね。私もきっと足を止めてしまったと思います。私もうしどしさんの意見に賛成だなあ。上の飢えの上野の光景は犬にエサ与える時の、「待て」「よし」みたい。ところで本当に、ごミサ、ゴミさ、なんてマジで言ってるの?
2007/11/3(土) 午後 9:31
まぁ、見て見ぬ振りするよりは、まだいいとは思いますが、恩着せがましいのも何だか気持ちフィットしませんねw
2007/11/3(土) 午後 9:32 [ zgenech ]
ひねくれ者で、何の信仰も今のところもたない私ですが、聖書の祈りの言葉や般若心経はそらんじています。PCのヨコには仏壇もあり、毎日灯明もともし、毎年初詣にも。
だからなんなの・・そうです。ただの気休め、かも知れません。
宗教は むずかしい。でもまったく否定する気にはなれないです。
伝道に歩く方は、自分ひとりが救われるのではなく 他の人もすくわれたらいい、と心から思っているということは理解できます。そのことは尊敬します
心がすくわれること。人に寛容になれることが宗教のメリットかな。と思っています。(メリットを求めて信仰に入るわけではないでしょうけれどね)
でも、そうじゃない宗教がらみの紛争や人殺しが多くて、日本人はスピリチュアル系に逃げているように見えます。それもなんだかなあ。
お天道様に恥ずかしい、と言う感覚のなくなった無神論者の群れは・・・軌道を逸してしまう時を迎えないか。それは恐ろしい気もします。心の心棒がない、ぶれてしまう。そういう集団は、安易に、暴走しないかなあ。なんて考えます。
starさん、こんばんわ、僕もわけあって上野のホームレスの人達と知り合う事が10年以上前にありまして、その人達と話をした事が有るのですが、毎日が生きる事で必死だとおっしゃっていました。冬の寒い日などは寒くて寝ているどころではなかったそうです。僕は宗教はよくわからないのですが、アメリカのケネデイ大統領がアメリカ史上唯一のカトリック教徒で後はみんなプロテスタントらしいのですが、なぜアメリカではカトリックの人間が大統領選挙に勝てないのかその訳もわかりませんが、日本のキリスト教会が、こうゆう困った人達を何かしら援助しているのは、大変素晴らしいことだと思います。そういえば日本の中核派などは、ホームレスの人達にパンや飲み物を配って、支持を集めているそうです。日本人の夢や希望 などが無くなって、社会が複雑になってくれば、うつ病が増えたり、自殺も増えたりします。ましてや、明日もどうなるのかもわからなければ、よけい不安になります、宗教が良いとは言いませんが、オウムや統一教会のようにカルトでなければ、宗教にも人をひきつけるものがあると思います。
2007/11/3(土) 午後 9:46 [ s_m*k*cho ]
前のコメントでも書きましたが、本来なら政府自民党が困った人達を助けるべきなのに、財界や金持ちのほうだけを向いており、貧乏人には生活保護も出さない、そして改正する必要も無いのに憲法9条を改正すると言って、日本が戦前のような、軍国主義に向かおうとしています。このような状態に
なればみんな危険を感じ取って、選挙で自民党が負けるのも当然の事だと思います。ただアメリカのように宗教団体が力を持って大統領さえ動かすようになったら問題と思います。ただ日本ではそれだけの権力は宗教団体は持たないでしょう、今日は、なぜアメリカではカトリックの人間が大統領選挙に勝てないのか、考えてみたいと思います。
2007/11/3(土) 午後 9:46 [ s_m*k*cho ]
のりちゃん、笑ってくれてありがとう(って礼を言ってる場合か。)上品なカトリック教徒は私財を投じたりしないんですよ、で、私財を投じることに対する反感あるでしょう、世間に。実際問題、それで家庭を壊したりするし。日常生活のバランスを崩さない程度になら信仰は許容されるけど、日常生活を崩したら非難され、「カルト教団」になるんじゃないかなあ。。。で、宗教っていうのは日常生活を壊す起爆剤ですからね。でも日常生活を全く壊さない信仰ってのもなんなのかなあとは思います。
2007/11/3(土) 午後 11:55
フクロウはウィッカで何を象徴するのでしょうか?
グランピーさん、印象派の絵画以上に印象的な光景でした。。。「上の飢えの上野の光景」ですか。で、そういう批判はモチロンできるんだけど、伝道する側は炊き出しは「エサ」だろうけど、している説教自体が「本物の糧」であり最大の贈り物だと思っているわけだから。第三者の目に映る光景と伝道している側の主観とはかなり食い違っているだろうと思います。だから私、なんとも言えないのよ。
2007/11/4(日) 午前 0:05
私は宗派をあえて言わなければならないならプロテスタントですが、その状況に出くわしたら相当ひきますね。説教を聞いて回心しなければ食べられないような印象を与えるやり方はどうかと思います。正直、その人たちに逆に説教してしまうかも知れません。同じことをイエス様ならどのようにされたでしょうか。
私は空き缶などを置いているホームレスの人を見かけたら、黙って何かを置いていくことにしています。別に欲しくもないわ、という方だっていらっしゃるだろうと思うので、すべてのホームレスの方にいわゆる施しのようなことをするのは失礼かな、といつも気を遣います。「伝道」という言葉もある意味失礼なもので、私の母教会では伝道という言葉は封印されました。
2007/11/4(日) 午前 0:34 [ meg ]
私もフィラデルフィア展には行きましたし、その光景も見たことがあります。 同じように違和感は感じましたが、そこまで深くは考えませんでした。(^_^; そう言えば、フィンランドのアキ・アウリスマキ監督の敗者三部作の一つ「過去のない男」にも炊き出しでスープを配るシーンがありましたが、その無力感?が印象的でした。
2007/11/4(日) 午前 10:26 [ ]
この前 観た「ジーザス・クライスト・スーパースター」で
施しや奇跡を求めて集まってきた群衆に
「自分で治せ!!!」と 怒鳴ったイエスが 印象的でした。
初演では 賛否両論あったらしいですが、人間臭いイエスが
余計 尊敬できる存在に思えました。
(人間じゃないなら すごいことができて 当たり前。普通の人間が苦しみながら 神を追求するから 素晴らしい・・・と 思ったのです)
宗教って難しいですが、一般の人との距離を忘れては 心に染み入るのは 無理があるでしょうね・・・
この光景は ちょっと 無茶なセールスのようにも見えます。
自分の信念をしっかりと持ち、欲望や権力などみじんもなく、心から身を犠牲にして一生懸命他人のために活動している人・・それがどのような活動であっても、その人は本当に素晴らしい人だと思います。
すたあぴれさん、横レスです。 「自分で治せ!!!」とはスゴイ台詞ですね。 それってThe Temple(イエスの宮?)の後の岩山のシーンでしょうか? だとすればオリジナルは"There's too many of you. Don't push me. There's too little of me. Don't crowd me."だけだと思いますが…。 ミュージカルは結構好きですが、「スーパースター」を舞台で観たのは1974年ですから何も覚えていません。 ただ映画とカナダのミュージカル版のDVDは持っています。 マグダラのマリアのイヴォンヌ・エリマンの大ファンです。
2007/11/4(日) 午後 4:30 [ ]
megさん、そうですね、こういった健全な感覚ゆえに多くの人が宗教に「引く」んだと思います。「伝道」って、伝道する側がされる側より高みに立つんですよね。ホームレスの人たちを集めたこの礼拝ではその伝道の本質っていうか避けがたい性質が、グロテスクな形で表れたのではないか、と。伝道という言葉を封印して、megさんの教会ではどういう言葉を採用したのですか。ところでmegさんのブログのURL
もう一度教えて下さいませんか。前に教えていただいたのに、PC買換えて、わからなくなってしまったんです。
2007/11/4(日) 午後 6:41
axbxcxさんもお見かけになりましたか。毎土曜日の午後やっているようですね。施しの無力感、「敗者3部作」だったら描いていそうですね。それでもこの「伝道」と「施し」を全否定できないのは、それでは私は何をしているのか、という自分への問いがあるからです。
2007/11/4(日) 午後 6:44
すたあびれさん、奇跡による癒しを求めて民衆が殺到してきたときにイエスはたしかにこれに似たことを言ったと福音書に書いてあります。(どこだったかなあ。。。)「ジーザス・クライスト・スーパースター」は原作のミュージカルは見たことないんだけど、職場で演じたときには、たしかにイエスがそう民衆につき返すんですよね。弟子たちにも「お前たちは病人を癒せる」と言っているし。でも「自己責任」と病人を冷たく突き放したのではなかったと思います。「病はこの人たちのせいでも祖先のせいでもない」って言ってるから。誰が悪いということではなしに、私たち人間にも自分たちや仲間を癒せる力がある、その力は信仰を通じて神から得るのだろうけれど、人間の可能性に対する信頼をも感じました。
2007/11/4(日) 午後 6:51
みいちゅけさん、そうですよね。「伝道」っていうけど、言葉で伝えられることなんかわずかなんだと思います。そして人間は健全にも言葉以外の非言語的メッセージをもしっかり受け取るアンテナを持っている。だからまあ「聖書のメッセージを伝えなきゃ」なんて構える必要ないのかもなあ。。。と自分の怠慢を自己正当化するわたし(笑)。
2007/11/4(日) 午後 7:00
どのくらいの頻度でジョン·コルトレーンの練習をしました
axbxcxさん、本当に広く沢山の本を読んだり映画やお芝居を観ていらっしゃるんですね。いつも驚きです。
2007/11/4(日) 午後 7:02
Starさん、真面目な生活をしていないだけですが…。 Starさんは「自分で治せ」を自然に感じられたんですね。 福音書ですか…。私は「自分で治せ」に強い違和感がありました。 「ジーザス・クライスト・スーパースター」が描くイエス像に合わないと思ったのです。それでティム・ライスの台本にはなかったのではないか、劇団四季の創作ではないかと…。("Leave me alone."を意訳した?) ちょっと調べたら「福音の森」というホームページにこんな「説教」がありました。 気になったので、神父さんにメールをお送りしました。
いまブロードウェイに行く計画を立てています。 メル・ブルックスの新作「ヤング・フランケンシュタイン」が始まりましたし、「RENT」や「Wicked」を是非生で観たいと…。
2007/11/5(月) 午前 9:09 [ ]
追伸です。 気になったので映画版とミュージカル版(カナダ)のDVDをチェックしたのですが、岩山のシーンの最後が映画版は"Leave me alone!"なのがミュージカル版は"Heal yourselves!"になっていました。 失礼しました。 (このYouTubeと同じものです。)
それで調べてみたらAmazon.co.jpに次のようなカスタマーレビューがありました。 当時、"Heal yourselves!"が物議をかもしだしたという訳です。 ということは私は『真面目』過ぎるということですね。(^_^)
2007/11/5(月) 午前 9:43 [ ]
上野公園での異様な風景を読ませて頂きました。しかし、これってキリスト教が世界各国にやってきたことですね。アフリカでも食料ぶら下げて伝道をしてきました。この風景で真っ先に浮かんだのは伝道に名を借りて他国への侵略です。
さて、それはさておき、人が空中に投げ出された「不安」な存在ですね。だから何かの集団に帰属したと思ってしまいますね。そして、その集団に入るとその集団の熱気でその集団にいる意義や喜びを感じ人々に伝道を惜しまず行いますね。それがどんな宗教であろうと、また、どんなイデオロギーの集団であろうと・・。時としてこれらがカルト集団となり暴走してしまう。自分が集団の中に埋没し自己を見失ってしまうのです。これはどの世界にも起こりうることですね。
2007/11/5(月) 午前 11:31 [ kabanotakara ]
こんな時パウロの力説してやまなかった「エクレシア」のことを考えたり、バルトの「教会教義学」を思ったりします。人は一人では生きられない。人と人とが寄り添い、霊によって結ばれることの意味を・・。
2007/11/5(月) 午前 11:37 [ kabanotakara ]
axbxcxさん、「自分で治せ」Heal yourselves.と言ったのではなかったと思います、Leave me alone.でもありません、福音書では。ミュージカルのこの箇所の元らしき箇所をさがすと、ルカ福音書5:15−16「イエスのうわさはますます広まったので、大勢の群集が教えを聞いたり病気をいやしていただいたりするために、集まってきた。だが、イエスは人里離れた所に退いて祈っておられた。」ルカ9−37で悪霊に憑かれた子を癒してくれ、弟子たちに頼んだけどダメだったとイエスに訴えると、イエスが「なんと信仰のない、よこしまな時代なのか。いつまでわたしは、あなたがたと共にいて、あなたがたに我慢しなければならないのか。」と言うのですが、結局は子供を連れて来させて悪霊を追い出し、癒します。(マルコ9:14−29、マタイ17:14−20にも。)
2007/11/5(月) 午後 8:31
kaba先生、私もこの光景をみて、西洋のキリスト教会が「後進国」に行なった伝道のことを思い浮かべました。アメリカが戦後日本に伝道したのにも似たようなところがあったのではないでしょうか。それらはもちろん戦後の焼け野原の日本に果たしてくれた慈善でした。学校やら病院やらを建ててくれました。しかしそれらの慈善は一歩まちがえると上の異様な光景と変わらないものになってしまう、そのことを考えました。そして上野公園で伝道していたクリスチャンたちは、ホームレスに炊き出しをすること以上に、神の言葉を伝えることを「大きな恵みを与えている」と考え、みこころに叶うことをしていると信じているのではないかと思うのです。でも本当は、「小さき者の中にイエスを見出す」のが施しなのでしょう。上野公園 では、ホームレスの人々にたいして語る言葉がどこか威圧的だったのが気になりました。
2007/11/5(月) 午後 8:44
Kabanotakaraさん、Starさん、そのような伝道の形は過去形ではないように思います。 アフリカの場合、特に後発の宗派の活動が活発です。 また産油国の基金もモスレムの伝道とセットになって動いているように思います。 さらに言えば「援助」そのものがそうでしょう。 個人的には「国際協力」はしていても「国際援助」をしているつもりはありませんが…。 Starさん、調べて頂きありがとうございました。 保守的なキリスト教団体が"Heal yourselves"に相当抗議したようですから、そのような表現は聖書にないのだろうと思いました。 また映画化に際しては"Heal yourselves"を避けて"Leave me alone"にしたようですが、言葉としてはこちらの方がむしろ忘れられないような気がします。
2007/11/6(火) 午前 0:38 [ ]
人目に良く付くところで食事を前にして説教をするのは偽善者のする事です。カトリックの態度も好きではありませんが、こんな光景もみたくありません。その私は昨日、友人から「嫁さんが『エホバ』にはまってしまった」と相談を受けました。状態を聴いたらかなり深く入り込んだ様子です。幼い子供まで洗脳されて家庭内は崩壊寸前、困り果てていました。キリスト教でない彼にどこから話をすればいいのかこちらも困ってしまいました。全ての宗教のあり方を考えさせられました。熱心になりすぎるのも困りものです。私はそこまで熱心でないので良かったと思いました。
2007/11/6(火) 午前 2:32
ここで、ポーラホワイトの生活していますか?
伝道集会を秋季特別集会などに名前を変えているだけですが、「the way」を知らない人たちに伝えてあげましょう、というような上からの視点はよくないという判断からのようです。神様は信じている人にとっては自分の外にある絶対的存在ですが、信じていない人には信じている人の心の中にしか存在しないものなんですよね。クリスチャンなんかなるもんか、と思っていたときはそんな理屈をこねていました。
私のURLを個人的に伝えるにはどうしたらよいのでしょう。最近は少し個人的な写真なども載せているのでstarさんのような人気サイトに書き込むのはちょっと恥ずかしいので、なんとかこっそりお伝えできればと思うんですが。。。
2007/11/6(火) 午後 7:27 [ meg ]
axbxcxさん、あらためて問題意識をいただきました。こちらこそありがとうございました。
2007/11/6(火) 午後 10:05
きのこさん、突然宗教にハマるってあるんですよね、ウチの母がそうでした。私がまだクリスチャンになる前でしたが、おかげで宗教に対して懐疑的な姿勢をとる訓練にもなりました。私も直感的にこの上野の伝道の仕方はうさんくさいと思ったのですが、それでもホームレスの人たちは叱られても無表情、無反応でじっと坐っていたのが印象的でした。偽善者を批判するのはある意味易しいけど、ホームレスの人々にとっては「食事をくれる偽善者」のほうが「ゆきすぎるフツーーの正常な感覚を持つ人々」よりありがたかったのではないかなあ、などと考えてフクザツな思いでした。
2007/11/6(火) 午後 10:09
megさん、なるほど、「上からの視点」ですね、私が上野の伝道にひっかかりを覚えたのもそんな視点ゆえだったのかもしれません。いやきっとそうでしょう。投稿欄に「内緒」と書いた左側のボックスをクリックしていただくと、投降が私にしか見えないように設定できます。ヤフーブロガー以外でもこの機能が使えるのかどうかわからないのですが、やってみていただければうれしいです。
2007/11/6(火) 午後 10:13
starさん、axbxcx2さん、いろいろ調べてくださってありがとうございました。とっても 面白く読ませていただきました。
今月はまた「ジーザス・・」見に行きます。
(今度はエルサレム・バージョンです)
おかげさまで、いろいろ知識もついたので また 違う視点で見られるかしら・・?と楽しみです。
本場のブロードウエイ・・いいですね。
いつか行ってみたいです。
すたあびれさん、おはようございます。 横レス失礼しました。 「自分で治せ!」にこんな議論があったとはビックリでした。 私自身は特にミュージカルが好きな訳ではなく、ロンドンで「ジーザス…」と「オペラ座…」を観たことがあるだけなのですが、娘がミュージカルおたく(特にRENTは東京で5回くらい観てる)なんです。 私も「ジーザス…」では"I don't know how to love him"と"Everything's alright"、カラオケで唄ってたくらい好きですが…。 Starさん、話が逸れて失礼しました。 祖父母と父がプロテスタント、母が後からカトリックという変則の家庭で育ちました。 米国では「カトリック=マイノリティー・お金がない」というイメージがあるのですが、日本は逆ですかねえ。 代々の家はそうでもないように思いますが…。 大学は比較的授業料が安くて助かっています。
2007/11/7(水) 午前 8:15 [ ]
すたあびれさん、私もミュージカル観に行きたいです。うらやましい。エルサレム・ヴァージョンですか、いろんなヴァージョンがあるんですね。初耳。
2007/11/7(水) 午後 10:55
axbxcxさん、アメリカではカトリックはWASPのプロテスタントより貧困層が多いのでしょうか。そういえばアイルランド系とかヒスパニック系とか、出身カトリック教国は比較的貧しい国が多いですからナットクです。ケネディはアメリカ初のカトリックの大統領でしたね。
2007/11/7(水) 午後 10:58
Starさん、あと主だったところはイタリア系、ポーランド系でしょうか。 フランス系もありますが…。 信頼性は「?」ですが、こんな統計を見つけました。 恐らく他の要因(人種/出身国など)も大きいのでしょうが…。
あと、進化論と宗教について、こんな統計もありました。 聖書どおりに神様がアダムとイブを創造されたと思っている人は米国人の53%、女性で60%、プロテスタントで66%(カトリックは38%)、そして所得2万ドル以下では70%…。 なかなか興味深い統計ではあります。
2007/11/8(木) 午前 10:00 [ ]
「内緒」は見当たらないのでヤフーにログインするかブログを持つかしかないんでしょうか。でも私のブログは本当に日記なので。。。
私の職場にはアイルランドとニュージーランド出身のカトリックの方がいますが、お2人とも熱心な信者という感じではありません。アメリカ人の先生は食事の前に宗教色を消して"Thank you for the food. It looks delicious."とおっしゃっています。なんとなくプロテスタントかな?と感じます。プロテスタントの多くは、プロテスタントではなく「クリスチャン」と名乗り、「カトリックではない」というスタンスだと思います。
2007/11/8(木) 午後 7:23 [ meg ]
内緒さん、そういう黙々と行う「人の心をうつ行為」こそが多くを語るのかもしれません。それが究極の伝道なのかもしれません。それ以外はやはり「押しつけ」になってしまうのかも。自分の問題として考えますね。コメントありがとうございます。
2007/11/8(木) 午後 9:17
axbxcxさん、進化論についての統計、面白いですね。文字通り「アダムとイブ」の物語を信じるということは進化論を否定するということで、その割合が所得2万ドル以下の米国人で7割とはちょっとびっくりです。日本のクリスチャンはどうなのかなあ。。。私、どっちでもないんですね。「宇宙の外はどうなってるの」とか「ブラックホールって何?」とか「宇宙の始まりのその前はどうだったの?」とかと同類の問題のような気がして、私の3次元の脳では答えられません。3次元の脳で無理やり答えようとすると、進化論を否定することになるのかも。
2007/11/8(木) 午後 9:21
megさん、ご無理なさらないで下さい。悩ませてしまってごめんなさい。私はプロテスタントの学校に長く勤めていたので、賛美歌の方が聖歌より親しみを感じたりします。ただ聖餐式は好きなんですね。(「好き」ってヘンかな。。。)仏像も好きだしねえ。あっあんまり節操ないかも。
2007/11/8(木) 午後 9:25
全然悩んでいませんよ〜。
私の母教会は聖歌の多くを訳された故中田羽後牧師が建てられた教会で、現在実家から通っている教会も福音系ですが聖歌を歌っています。プロテスタントでも聖歌を採用しているところはありますよ。最近のワーシップとかプレイズは苦手なんです。私も聖餐式は好きです。不謹慎かも知れませんが、今の教会のパンはおいしいんです。
2007/11/8(木) 午後 10:22 [ meg ]
starさん、こんにちは、毎日新聞の記事に載っていましたが、アメリカでイラク戦争やアフガニスタンの戦争で、退役軍人がホームレスになるケースが増えているそうです。アメリカのためにといって戦地に行って帰ってきたらホームレスでは目も当てられません。結局アメリカなんて、大統領が偉そうに何を言っても、弱者なんか知らないとゆうことでしょうか、昔テレビで見た、ヒットラーの演説で、君達に国家は、何か助けてくれたか、何も助けてくれじゃないじゃないかとゆう演説も、独裁者独特のずるさみたいなのが有りますが、僕は正直賛同はしません。
2007/11/9(金) 午後 10:47 [ s_m*k*cho ]
megさん、よかったあ。「最近のワーシップとかプレイズ」ってよく知らないんですけど、教会を満杯にしているような人気の礼拝はニガテです。アメリカのカリスマ牧師がやるような、「さあ、洗礼を受けようと思う人、立ってこちらへ来て下さい」なんて言って抱擁するようなのも引きます。で、今の教会のホスチア、なかなかおいしいですね(笑)。
2007/11/10(土) 午前 0:05
s mikachoさん、イラク戦争で戦争という非日常に適応してしまった兵士たちが日常に戻ってきて、不適応を起こしたり、負傷して働けなくなってしまったり、というレポートを読みました。ホームレスの背景には常に社会があるのだと思います。「国家」は時に救世主のような顔で人々を騙すことがありますね。
2007/11/10(土) 午前 0:09
うわぁ〜、人参ぶら下げられた状態とでもいうのでしょうか…。ひきますね。私はクリスチャンではありませんが、どちらかというとプロテスタント寄りです。我が家では神様を信じるレベルが、小人や妖精の存在を信じるレベルなのですが…。プロテスタントの伝道、ダサいんですか(笑)同じプロテスタントでもいろいろあるんですね。この前参加した隣の教会ではカリスマ牧師がいてアントニオ猪木のような喋り方で説教してました。「いいですか!祈りましょう!1・2・3!ハレルヤ!」のような…(笑)説教中どこかしこで「ハレルヤ!」と叫ぶ信者がいて、隣の人も急に叫び出して驚きました。
家族でよく行く教会は、ヨガや仏教にも興味がある牧師で(教会員からクレームが出ていますが)、彼の説教は、説教臭くない説教で、朴訥としていて、非常に分かりやすい。私のような素人には、彼くらいの力の抜け具合が良いです。聖書の教えは世界共通、要は牧師(神父)の在り方、人間性なのだと思います。
2007/12/16(日) 午後 0:27 [ クシピー ]
kushipyさん、私は教会ジプシーをしていて、「教会っていろいろさまざまなんだなあ」とつくづく感心します。。。さすがに統一教会とモルモン教、エホバの証人はその中でも別枠扱いされて「キリスト教じゃない」扱いされてますけど、それでも「枠」の中でもいろいろなんだなあ。。。教会員と牧師との見解の齟齬っていうのもよくあるみたいですね。それで教会を大きくしていくためにはあんまり突出したことやっちゃいけなくて、それが「教会は政治に関わらない」ことの現実的な理由になっているみたい。教会員の中に自民党支持者がいたら、「イラク戦争反対」なんていったらクレームつくでしょうしね。上の礼拝はね、ひくでしょう?。。。ひいちゃいました。。。
2008/1/1(火) 午後 7:59
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