2012年6月10日日曜日

Notebook: テーマ「グルメ」のブログ記事一覧 A.a.+H ああす設計室 blog /ウェブリブログ


タイトル 日 時
おいしい中華屋さん「永利(えいり)」
池袋でランチを食べました。 夜は、何度か訪れたことがある「永利(えいり)」。 ...続きを見る

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2012/02/02 13:53
居酒屋巡礼 『やきとり野島』
最近、ホルモン焼きが大好きです。 これまでは、「ふーん焼鳥」、「ふーんホルモンね」 の如くに軽く流していたのですが、 幾つかの名店を訪ねるうちに、 その響きと、それに伴う数々の良きイメージは、 私の中で輝きを増すばかりです。 ...続きを見る

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2011/02/09 12:47
居酒屋巡礼 『冨士屋本店』
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2009/12/11 15:45
居酒屋巡礼 『まるます家』
『TOKIO古典酒場』という情緒ある居酒屋を紹介した雑誌があります。 いいネーミングだと思います。 居酒屋という言葉を使わず、しかも『古典』という字を『酒場』の前にくっつけているのは、全国展開するチェーン店居酒屋の全盛時代では、居酒屋という言葉のニュアンスが変わってしまったからでしょうか。 気づくと私はもうアラフォーですが、私たちの世代には、居酒屋という言葉の良き響きのようなものが、まだ確かに残っていたような気がします。 ...続きを見る

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2009/12/03 13:48
菓子椀 『 ISSUI 』
先日は私の誕生日。この歳になってバースデーケーキでもないか・・・と主人も思ったのか、和菓子をプレゼントしてくれました。透明な筒に、一の重、二の重、三の重という3種類の素材が浮かんだように見える洗練されたデザインで、『 ISSUI ―いっすい』というお店の菓子椀です。菓子椀はその名の通り、お椀に入れた和菓子のことで、室町時代よりお茶席で客人をもてなすため、趣きのある器とともに振舞われたそうです。 ...続きを見る

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2009/11/02 21:48
脇田アトリエ山荘
昨晩から台風18号が関東を直撃し大雨と強風でどうなることかと思いましたが、徐々に空には晴間も見えはじめ、たまった洗濯物が干せるぞー!と朝から意気込んでおります。 さて、秋の行楽シーズンということで、台風も去り天気にも恵まれそうなこの3連休、皆さんの予定はいかがですか? 昨年の丁度今頃、脇田美術館で開催される『建築ワークショップ Vol.5』に参加するため、軽井沢に行ってきました。ワークショップでは、川添登氏、三沢浩氏、松隈洋氏のゲスト・トークの後、吉村順三氏設計の『脇田アトリエ山荘』の見学が... ...続きを見る

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2009/10/08 10:16
男の料理 『魚醤(しょっつる)パスタ)』
昨日ご紹介した、ふんだんな食材にじっくり手間をかける「筑前煮」のような料理も男の料理の醍醐味なら、お酒のあがりに素早く一品仕上げるのも、男の料理の王道と言えるでしょう。 今回は、そんな料理の紹介です。秋田の魚醤、『魚醤(しょっつる)』を使ったパスタです。 ...続きを見る

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2009/10/08 09:02
男の料理 『筑前煮』
来客のおもてなしとして、『筑前煮』をつくりました。 ...続きを見る

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2009/10/07 22:13
中国地方の建築を巡る旅 『brood in広島』
今日は、三分一博志氏設計の『brood』をご紹介します。広島インター付近に位置し、自動車販売店、イタリアレストラン、和菓子店からなる、コンバーション建築です。この日は猛暑だったのですが、環境に配慮した設計で知られる三分一さんデザインのパーゴラが密に林立するオープンテラスは、とても涼しく、ほどよく日差しを遮る、内外の中間領域といった感じです。自動車販売店の通路の天井はランダムに光が灯る有機的な形状で、レストランのレストルームの個室の扉は軽いのですがコンクリートのような素材で出来ていました。レストラ... ...続きを見る

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2009/09/29 15:49
中国地方の建築を巡る旅 『広島の元祖お好み焼き』
9月12日から15日までの4日間、中国地方の建築を巡る旅をしてきました。当初の目的としては、「村野建築を見る旅」に参加することでしたが、その2日前から広島入りし、レンタカーを借りて広島の建築、翌日は出雲の建築を巡り、その晩は旅の目玉である菊竹清訓氏設計の『東光園』に宿泊してきました。建築写真も沢山撮影してきましたので、場所別に整理し、追々ご紹介したいと思います。出産後は、当分大好きな旅行もできなくなるので、安定期のこの時期に建築も旅も満喫しよう!と少々欲張ったスケジュールだったので、帰宅後は相当... ...続きを見る

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なぜモーセは川に投げ込まれた
2009/09/25 22:13
3時のおやつ
今日は、とても良いことがあったので、3時に紅茶と白玉ぜんざいで乾杯!しました。紅茶と和菓子の取合わせって、どうよ?と思われるかもしれませんが、琉球紅茶といって、沖縄で作られた紅色のお茶です。紅茶というよりもハーブティに近く、カフェインは紅茶の1/5なので、妊婦さんにもやさしいお茶です。ハイビスカスとローズヒップとペパーミントをミックスした茶葉は、それ自体も良い香りがします。お湯を注ぎ、カップに蓋をして待つこと3分、美しい紅色のお茶のできあがり。ハーブティーというと、独特の草っぽさが苦手な人もいる... ...続きを見る

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2012年6月3日日曜日

哲学書簡 ヴォルテールとクエーカー教徒 | RE+nessance


楓のマントノン夫人の記事で、キエティスム(クワイエティズム)事件を起こしたということを知り、ヴォルテールのクエーカー教徒を思い出した。

なるほど、マントノン夫人は質素で倹約な宮廷生活と唱えていた。

「哲学書簡」(Lettres philosophiques ou Lettres anglaises)
アムステルダム出版の口絵部分

僕の好奇心をそそるマントノン夫人
*1 これ以上に貴賓があり、人の心をとらえてはなさない物腰に出会ったことがない。

マントノン夫人に深くお辞儀をした。
*2 「私は、自分の至極もっともな好奇心があなたの気分を害するとこはないと、またあなたの生活についてくわしくお教えいただけるものと信じております。」

こうして私はマントノン夫人に尋ねはじめた。
「ほかの人たちと少々違った服をお召しのようですが。」

*3 「これは、彼らと同じになってしまわないよう、自分を戒めることにやっていることなのです。彼らは装飾の浪費、新しい流行の迎合、華美を求める虚栄と優越の標章をつけますが、わたしたちはキリスト教の謙虚の標章をつけているのです。」

私は尋ねた。
「以前の宮殿に比べ様子が違うようですが。」

*4「わたしたちは娯楽の集まり、見世物、賭け事を避けます。そのわけは神がお住まいになるべき心をこれらの取るに足らないことで埋め尽くすとあっては、あまりに自分があわれだからです。わたしたちは決して神に誓うことはしません。法廷においてさえそうです。」

私は尋ねた。
「モンテスパン侯爵夫人との確執はないのですか。」

*5「いと高き神の御名が人間のくだらない言い争いで汚されてはならないというのが、わたしたちの考えです。」

なるほど、マントノン夫人は無地の暗いドレスを身につけ、髪はシニヨンでまとめているだけだ。信仰の厳しさが彼女を報復の感情を払い、ルイ14世は彼女を確固不動の人と呼び、彼女の寛大さに敬服し、宮廷の華やかさが失ったのは国王の放蕩や浪費がおさまり、落ち着いた暮らしぶりになったのだ。

「マントノン夫人、私は誤解をしていた。
国王がサンシールの乙女たちと呼んだ学院は、
あなたが性行為を避ける手段としての
王の愛欲を満たす女性の訓練学校ではなかったのですね。
そしてナントの勅令の廃止で虐殺された数万人は
あなたの寛大さによって、サン・バルテルミーの虐殺より
わずかなものとなったのですね。」

最後に尋ねた。
「あなたの宗教は、」

僕はそこで夢から覚めてしまった。

なんとマントノン夫人は、ヴォルテールが対話したクエーカー教徒のアンドルー・ピットと同じ言葉を僕に伝えたのだ。

2012年5月31日木曜日

伝道者の書4章 三つよりの糸は切れにくい


 伝道者の書4章 三つよりの糸は切れにくい

三つよりの糸は切りにくい

人と人がつながり、その中に一致がある時、強力な力を発揮することが出来ます。神様は、私達のために助ける手として妻を与え、また、同労者を備えてくださいます。人の出入りや人の移動は、神様の御手にあります。

人を止めさせるための努力より、神様の働きを楽しむ方が良いと思います。

2012年5月19日土曜日

黙翁日録: 2008/11


昨日の石碑の傍にある説明用看板。中身は下記。

*
「永禄12年(1269年)に織田信長が、第15代将軍・足利義昭の将軍座所(居城)として、この石碑を中心に、約390メートル四方の敷地にほぼ70日間の短期間で、二重の堀や三重の「天守」を備えた堅固な城を築いた。周辺からは金箔瓦も発掘されており、急ごしらえにしては、四方に石垣を高く築き、内装は金銀をちりばめ、庭は泉水・築山が構えられた豪華な城郭であったと推測される。(ポルトガルの宣教師、ルイス・フロイスの記録等より) その後、信長は旧二条城から義昭を追放し、東宮誠仁親王を迎え入れ、城は「二条御所」として使われていたが、室町幕府の滅亡に伴い廃城となった。天正4年(1576年)に旧二条城は解体され、安土城築城に際し建築資材とし て再利用された。尚、現在の二条城は、徳川家康によって上洛の際の居館として慶長7年(1602年)に築かれた。

 所在地 : 京都市上京区烏丸下立売

 築城者 : 織田信長

 形  式 : 平城

 築城年 : 1569年(永禄12年)」

*

■1871年3月18日 パリ・コミューンの1日      「未完の黙翁年表」より


・政府軍の奇襲失敗、民衆蜂起。ティエール、ヴェルサイユへ逃亡。2将軍銃殺。午後10時30分、市庁舎占拠。

*
[計画]

①シュビエル師団はルコント・パテュエル2旅団におりモンマルトルの丘を制し大砲を奪回。
②ファロン師団はベルヴィルに向かい、ビュット・ショーモンにラ・マリューズ旅団を派遣。
③モードゥイ師団はウォルフ旅団をバスティーユに、アンリオン旅団をテュイルリーとリュクサンプールに派遣。
④予備軍としてポシェ旅団が廃兵院と陸軍士官学校に向かい、そこに駐留。
*
 パリの大砲は17地点に据えられ、有名 な大砲は、パリを見下す高台に集められている。ビュット・モンマルトル(新型大砲91門など計171門)。ビュット・ショーモン(旧型12口径22門・新型7口径24門など計52門)。フランドル街ラ・マルセイエーズ公会堂(城壁から持って来た旧型31門)。ラ・シャベル(旧型22門など計43門)。クリシー(大砲8門など計10門)。ベルヴィル(改装砲6門など計22門)。メニルモンタン(新型12門など計70門)。総計417門。
*

・夜の初め、ある将軍が、シャトー・ドーの兵営で、第120戦列歩兵隊第3大隊を兵営に残し兵営を防備態勢におくこと、第1大隊にタンプル場末町を、第2大隊にロワイヤル広場の占領を命令。また、一切の不穏集団には無警告で発砲せよと指示(第120戦列歩兵隊は国民衛兵が眼前に現われる時、潰走)。
同じ頃、1人の特 務曹長が、モンマルトルの衛兵哨所に立ち寄り、区長クレマンソーの偽の撤退命令を伝令、人々は従い、モンマルトルには7人とムーラン・ド・ラ・ギャレットにいる僅かな分遣隊が残るのみ。
*

・0時~午前2時、ルーヴル宮で政府軍の作戦会議。目的は、大砲奪取、衛兵の武装解除、委員会占領、メンバー逮捕、家宅捜査。
*
[パリ軍最高司令官ヴィノワの計画]

モンマルトル攻撃は2旅団(パチュレル、ルコント両将軍)からなるシュビエル師団が担当。
①パチュレル旅団は、猟歩兵1大隊、第17大隊(第76戦列歩兵2大隊)、第88歩兵部隊3大隊(猟歩兵1大隊、第18大隊)、憲兵隊半中隊、工兵半中隊、武装警官を包含し、クリシー広場~サントゥアン大通り~マルカデ街~ソール街~モンマルトル墓地~ノルヴァン街を~� ��ーラン・ド・ラ・ギャレット公園へ向う。この間、1大隊がビェットの下、北と西側に布陣し、猟歩兵第17大隊は、シュビエル師団の将軍の指揮下におかれ、クリシー大通りとピガール広場に、憲兵と大砲2門をもって予備として残される。
*
②ルコント将軍は、第88歩兵部隊2大隊、警官、憲兵、工兵半中隊と共にモン・スニ街を通り、ビュット・モンマルトルに登り、丘の東部を占領すべく、ロシュシュアール大通りに予備軍(猟歩兵第18大隊、砲兵1中隊、第88歩兵部隊第3大隊)を温存する。
*

 歩兵部隊の大部分は、この月2日にル・アーヴル発。マラコフ大通り、エトワール広場、トロカデロ広場の付近に野営。パリが極めて平穏なのをみて、何人かの兵士は流布されていた噂に憤慨。17日夕方、何人かの兵士・下士官はが� ��会(例えばナシオン街のローエル酒場)に出席し、住民と親しくなり、以降、最も精力的な兵士達が、人民に発砲しないと公然と誓うに至る。従って、武装警官を部隊に配置する必要が生じる。
*

[パリ全部の軍事占領計画]

モンマルトル(陣地の威力、大砲数、地区委員会や住民活動が活発さから特に重要地点)攻撃配置は、全労働者居住地区・戦略的地点(保塁、兵器廠、大通り、公共建造物)占領、パリ周辺地区住民の完全武装解除を目指す広範な計画の一部。
ファロン将軍は、ル・マリウズ将軍を指揮下におき、ベルヴィル、ビュット・ショーモンを占領、他の分遣隊はウォルフ、デロジャ、モーデュイ将軍指揮下に、バスチーユ広場、市庁舎を占領、アンリュー将軍は左岸を包囲、第135戦列歩兵は全体の予備軍と� �てリュクサンプールとパンテオンに残される。
*

・0時~午前2時、政府軍作戦会議と同時刻、国民衛兵中央委員会も集会を開き、任務分担・委員会統合など組織作りを行い、新しく軍事委員会を任命、午前2時過ぎ、散会。(3時30分、国民軍中央委員会の任務分担についての会議終了、の記述もあり)
*

・部隊2万はシャン・ゼリゼとコンコルド広場に集結、ラ・ぺー街~大通りへ進む。
午前2時半~3時、部隊は小分遣隊に分かれ、シュビエル師団はモンマルトルに向い、途中でマルチル街と外廻りの大通りを監視する為に榴弾砲を据え、騎兵・砲兵をビガール広場に配置。
*

・午前3時~4時、将軍達は、配下の憲兵・警官とヴァサル少佐率いる市警官・パリ意兵隊に攻撃開始命ず。

 ロジェ街の中央委員会・地� ��委員会がルビック街の高みに据えた警砲は発射されず。
市警官がビュットを見下すソルフェリノ塔に近寄った時、ロジェ街委員会に配置された国民衛兵チュルパンに見つかり、彼を銃剣で打倒す(瀕死の重傷を負い、数日後没)。
襲撃者達は丘の上に出て、手薄すな哨所である第61大隊の6人を武装解除。次いで、監視委員会の置かれているロジェ街6番地に出て、そこを占拠する幾人かを捕虜としソルフェリノ塔地下室に投込む(数人は逃亡)。
この間、第18猟歩兵はプーサルグ少佐の命令下、丘上部に登り、工兵・猟歩兵は、大砲を保護する土塁、盛り土、塹壕を取壊す。
*

2012年5月18日金曜日

LichtKunstLicht勝者によってドルトムントでの聖母の地下墓室の教会 - 国際プロジェクト (インテリア) 照明デザイン賞 2012


illumniは、照明デザイン賞の受賞作品を展示しています 2012 ロンドンで先週開催された. 仕事を表示するには、毎日のillumniをチェック.

19世紀から復元された教会の建物は、都市部の骨壷埋葬の儀式のために印象的な場所としての地位を表してい. リヒトクンストリヒトによって敏感な照明デザイン - 単にLED技術を実装するには - 効果的にStaab Architektenによって計画されたインテリアデザインのコンセプトを強調.

アイデアは特に新しいものではありません - これは、すでに名前で明らかになる. 初期キリスト教時代の "columbariumの複数形は"のようなdovecotのであった, 半または完全に地下のつぼの墓. 新しい都市の墓地の成長不足、何より​​もコスト圧力が骨壷埋葬のために新しい場所を確立するためにドイツ全土市当局の原因となっている. 従って, それはほとんど使われない都市のインナーシティの教会を採用することが理想的. いくつかのドイツの都市で, として現在ドルトムントに, 元教会の建物は、骨壷の墓地のために改装されています. ネオゴシック様式のLiebfrauen教会の建物, に建てられた 1883, 少数の訪問者をよりよい日を見て登録していた. パーダーボルンの大司教と協力してドルトムントの市政は、urn埋葬地への変換の考え方を推進してきました. 2年間の改装期間を経て埋葬教会は月に完了しました 2011.

遮るもののない開放

2012年5月16日水曜日

Fumi's Lovely Days:人は何のために生きるか?


さて、2日目まで書きました。
私は、特にこのカテゴリを書くにあたっては、祈ってから書くようにしています。
「神様、どうぞ私のうちに働いて下さい。今日も5つの目的の本を、ここに来て下さる方々と分かち合いたいと思います。どうぞ本当に大切な箇所を探すことができますように。」と。
今日もリック・ウォレン著の『人生を導く5つの目的』よりを分かち合いましょうね。

---どんな人でも、何かに動かされて生きているのです。
たいていの辞書は、ドライブという動詞を「導く、コントロールする、指示を与える」と定義しています。あなたがこの言葉(ドライブ)を使う時、たとえば車を運転するとか、釘を打つとか、ゴルフボールを打つと言う時、あなたはそれを導き、コントロールし、あるいはそれに指示を与えているわけです。あなたの人生の原動力となっているものは何でしょうか。

・・・今のあなたは、直面している問題、プレッシャー、あるいは何かの締め切りに追い立てられているかもしれません。あるいは、痛ましい記憶、恐れ、無意識のうちに形成されてきた信念に駆り立てられて生きているのかもしれません。あなたの人生を動かしているものには、幾つもの環境、価値観、感情があります。最も一般的は5つのも のを挙げてみましょう。

1●多くの人は罪責感に駆り立てられて生きている

彼らは後悔から逃れ、またその恥ずかしさを隠すために人生の大半を費やしています。罪意識に駆り立てられている人たちは、特定の思い出に支配されています。彼らは過去の出来事に自分の未来をコントロールさせてしまっているのです。自分の成功を台無しにすることで、無意識のうちに自分に罰を与えてしまうのです。

・・・私達は皆、自分の過去と無縁ではいられませんが、その虜になる必要はありません。
神の目的は、私たちの過去によって制限されるものではありません。・・・・そして、神はあなたの残りの生涯においても驚くべきことをしてくださるのです。

2●多くの人は怒りと憤りに駆り立てられて生きている

彼らは痛みを握り締め、決してそれを乗り越えることがありません。
赦すことによってその痛みを手放す代わりに、心の中で何度も反芻して(繰り返し考えて)しまうのです。碇に駆り立てられて生きている人たちは、「黙り込む」ことによってその怒りを心の中に蓄積させるか、「爆発させ」ることによってそれを人にぶつけてしまいます。どちらも不健全で、有効な方法ではありません。