2010-11-21
最近また『読めシグナル』がずっと前から来ていた本を買った。
チャック・スペザーノ著の『傷つくならば、それは「愛」ではない』だ。
『読め読めシグナル』の特徴は、いったん忘れてもずっと気になるということで、僕も今年の2月とかに書店で見かけて読んですごく良さそうな本だと思ったけど買わなかった。でもそれから結構ずっと頭の片隅で「ワタシヲカッテ・・・」と言い続けるので今年が終わる前に読んでおくことにした。
全部読んでないけどとても深い洞察によって書かれているということがわかる本で、パートナーとの関係の深め方や、危機の乗り越え方、自分のトラウマの癒し方、人との付き合い方などおよそ対人関係や、愛情にまつわることの知恵がぎっしり詰まっている感じだ。今日読んで� �白かったチャプターを二つほど紹介してみる。
23日 許せなかった両親の行動を、今度はあなたがするようになる。
わたしたちが両親を批判したときに、心の奥深いところでは自分を批判したのです。すると私達は、次のどちらかの反応をします。ひとつは、否定した両親のふるまいと同じように自分も行動して、両親がなぜそうしたふるまいに、もともと駆り立てられたのかを理解しようとします。 もうひとつは、両親のふるまいをつぐなうために、まったく逆の行動をとります。両親に対する批判から、それに対抗する犠牲的な役割を生き、大人になってからは自分の子供やパートナーの犠牲になります。そして皮肉にも、結局は両親を拒絶したその部分に自分もまた、とらわれてしまうのです。
■あなたは両親のどこを拒絶したのでしょうか。
あなたは何か両親と同じような行動をしていますか。それとも逆のふるまいをしているでしょうか。正しいことをしているはずなのに、何かの「役割」から行動していて、何も受け取れずにいるのではありませんか。そのままだと、いずれ燃え尽きてしまいます。両親の状況を理解し、許そうとすることで、あなたも両親も自由になります。神の愛の 助けを借りて両親を許しましょう。心の底から、こう言ってみましょう。
「お母さん、神の愛の中で私はあなたを許します。 お父さん、神の愛の中で私はあなたを許します
8日
パートナーをコントロールすればするほど、つまらない人になっていく
つきあい始めたばかりの頃、私達はパートナーをものすごく魅力的に感じて、ぞくぞくしたり、ワクワクしたりします。ところがだんだん付き合いが長くなるに連れて、かつてワクワクしたことが、かえって悩みの種になってきます。その人の魅力的な部分は、ほかの誰かとではなく、自分だけと分かち合って欲しいからです。ところがもちろん、そんなわけにはいきません。 そこでパートナーをコントロールして、自分が魅力に感じたまさにその部分を、なんとか封じ込めてしまおうとします。しかし、どこかひとつ魅力を封じ込めてしまうと、やがては相手のありとあらゆるところを封じ込めてしまうことになります。
相手をコントロールするのをやめて、パートナーが魅力的であることを受け入れようとすれば、たぶんあなたの内面はかき乱され、恐れがわきあがってくることでしょう 。こうしたことは、ほんのちょっとしたことでも脅威に感じてしまうものです。
この恐れをすすんで感じて見ましょう。なぜならその部分こそ、ワクワク感を呼び戻してくれるところだからです。あまりにこわくなったら、そのことを相手に分かち合いましょう。パートナーを封じ込めようとし� ��ければ、こうしたコミュニケーションから癒しが生まれます。
■今日は、パートナーに対するコントロールを少しづつやめてみましょう。
「あなたを失うのではないか」という恐れを伝えたり、「あなたの才能にじつは恐れを抱いていた」と伝えるのに、今がちょうどいいタイミングかもしれません。あなたがどのくらいパートナーの才能や価値を認め、評価しているのかをコミュニケーションしてください。 コントロールを捨てましょう。こんなかたちで脅迫するのは、もうやめにします。ありのままの相手を受け入れて、ただその人がいてくれることのよろこびを存分に感じてください。
両親との関係と、パートナーとの関係。 このふたつとも多くの人が感じるジレンマを、とても簡潔に説明しているように思う。 親からのトラウマによって同じような行動をする(DV被害者が加害者になったり)というのは、よく聴く話しだが、そのトラウマを消化しきれず、真逆の行動をするということもその人を縛ってしまう危険性があることを鋭く指摘している。どこかの評論化が「DV被害者はむしろ子供を大切にするようになるはずだ」と書いているのを読んだことがあるが、やはり外面的にはいい親であっても本人の内面でそのトラウマのエネルギーが解消していなければどこかにゆがみを生じさせてしまうものであることをこのチャプターは教えてくれる。 だからこそそれに対応する「許し」が必要になってくる。 それぞれのチャプター(365個ある)にはかならず問題に対応するミニワークがついている。 よく出来た本だ。似たような構成のは他にもたくさんあるかもしれないが、この本は著者の洞察力がかなり深いので非常にためになる。『奇蹟のコース』の影響も大きく取り入れているようだ。『奇蹟のコース』については詳しくしらないが、なんとなく概略を読んで『生命の贈り物』とかがフィットする人なら『奇蹟のコース』もはまるのではないかと思った。
こういった癒しの思想、そして『ラムサ』の本もそうだけど今年に出会った多くのものはもしかしたら、「癒し」と「求道?(神様の世界)」との間に橋をかけてくれるものになるかもしれない。
僕にとって、自分自身や相方や、家族と関わる上で「癒しの思想」というのは自分とどうもきっても切れない関係にあるように思えてきた。一時はすべて神様のこ とだけを思っていればいいと思い込もうとしていたが、そうではなく僕のいるべき場所というのはどうもその中間地点のような気が最近はしている。
真理とは何か?なんてホントは二次的なことで、自分にとっての「真実は何か」が大事なのだ。どう生きるか? 本当に『君がどうかい?』なのだ。 それだけが重要。
I先生の放っているものが強烈なので、I先生の世界にどっぷりつかっていればいいのかとも思ったことがあるが、どうも間接的に『自分で考えろ』と言われてる気がする。勝手な思い込みかもしれないが、流れ的にそういうところがあったので最近はあんまし個人的な相談とかはしていない。でもやはりエネルギーはたくさんもらっている。I先生の『存在』に敬意を払い、自分のことは自分でなるべくやりたいという気持ち。
僕は純粋に探求者としての自分でい続けるには、あまりにも「病」とのかかわりが深い。周りの人に、また自分の心身を良い方向に持っていくためにも「癒しの思想」というのがなんらかの形でどうしても必要になってくる。もともとこういう世界に興味を持ったのも、ヒーリン グからであったし、自分自身のペースを発見したいという思いがあった。その揺り戻しがきたのが今年だった気がする。
『ラムサ』はヒーリングの基本、自分を受け入れ愛すると言うことを再確認させてくれたし、『生命の贈り物』は許しの大切さを教えてくれた。またアイソレーションタンク体験は体感的な世界との一体感を感じさせてくれた。あとお馬さんに乗ったり、イルカさんと泳いだりもしたが、これは来年ももっと濃いレベルでやれたらうれしい。
これらすべてに自我のレベルで完結しないという特徴があった。 言って見れば、ある意味すべてトランスパーソナルな領域での癒しのメソッドだった。 『ラムサ』には自分を越えたものにサレンダーするという考え方があまりないように思えたのが少し気になったが、アイソレーションタンクでお世話になったECCOのMさんも『ゆだねる』ことの重要性を語っていたのでここらへんははずせないポイントだろう。
ある意味自分の現実の多くの部分は自分の観念が作っていると言えると思うが、すべて自分でコントロールすること自体が多くのストレスをもたらすのでやはりどこかのレベルで、サレンダー、ゆだねる、「より高い力にお任せする」 という姿勢は大事になってくると思う。 と言う意味では『自分』にふり戻されたものの、『自分を越えたもの』なくしては成り立たないと言う点では、以前と同じスタンスを保てると思う。「癒し」と「求道?」どちらかを捨てるというのではなくふたつを融合させたい。
自分も大好き!人も大好き!神様も大好き!となれたら最高かな。
それらが全部同じものだ!とまではわかんなくてもね
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2010-03-08
アイソレーションタンクは、今知ってる限り、東京、岡山、京都に存在するようだ。
東京は僕が行った ECCO 四谷から 南北線で10分ほど白金高輪駅から徒歩5分くらい
岡山は心療内科の HIKARI CLINIC
フローティングタンクとは?
フローティングタンクQアンドA
そして京都はフランス人の翻訳業の方が所有していて、一般の方にも解放しているらしい。 この体験記の方が行かれたところ
畳を敷きつめた、和式の居間。低いテーブルを挟んでディヴィヤムさんと向かい合う。外国人の家にいる気がしない。タンクの中で体の回転を感じたことを言うと、 「そう、自分の体を、念じた通りの方向に向けることが出来るんだ。まるで宇宙の中にいるようにね」 嬉しそうに説明する。 「リリー博士の説によると、人間は自らのエネルギーの80パーセントを重力に抗うことに使っているそうだ。そこから自由になることが出来れば、本当に大きな力を手にすることが出来る。けれど、急に解放されたエネルギーを制御することが難しいんだ」 アイソレーションタンクを考案したリリー博士は晩年、イルカの研究に情熱を傾けたそうだ。今の話と繋がっていそうだ。重力によるエネルギーの無駄がないから、イルカは賢い。水中では五倍の能力を発揮できる。
ディヴィヤムさんは続ける。 「私の妻は日本人なんだが……。その母親を、この前、タンクに入れたんだよ。85才でね……」 眉ひとつ動かさずに言った。冗談だと思いたい。85才のお婆ちゃんが、真っ暗なアイソレーションタンクに……。 「義母は体が完全に曲がってしまっていてね。ひとりでは入ることが出来なかった。だから、私が一緒に入ったんだ」 その光景が鮮やかに目に浮かんでしまった。 「義母はタンクから出てきた後で、『別の世界にいました』と言っていたよ」 『別の世界』を神秘体験と捉えるべきか、あるいは単に、強烈な体験だったと捉えるべきか、どちらか分からなかったため、僕は黙っていた。
この京都のタンクの住所が 真如町真如堂前 であった。。。
あ、そういうこと(・∀・) まあーECCO行く前にこの体験記読んでたから、無意識には情報が入ってたと思うけど。
でも初タンクの翌朝にそれがぽんと出てきたのはなんか意味が? 僕は京都出身なので地元の家族や知人などにこのディヴィヤムさんのタンクのことを教えたほうがよいのだろうかと考えてしまった。
一応セラピー的な世界には、ヒーリング(病から健康へ) とトランスフォーメーション(一般的な心身の健康から、気付きの深まりなどを統合した超健康へ)とふたつあると思うけど タンクはこのどちらにたいしても効果を持っていると感じる。
しかし・・・この体験記の人めちゃ面白い。 タンクに注意してて気付かなかったが・・・なんなんだこの体験のバリエーションは。 ある意味天才なのではないだろうか。 サマディタンク以外の体験記↓
安部公房「箱男」に影響され段ボール箱をかぶって歩いてみた
右翼の街宣車に乗って演説させてもらった
バッティングセンターで審判の練習
参りました。はは〜(*・ω・)*_ _))ペコリン
非日常は日常にありきっすね。自分のパターンを変えればすぐに不思議世界に(笑)
話をタンクに戻すと、これ自分で買おうと思えば輸入費用含めて150万円くらいで買えるそうだ。 うーん、欲しい(〃*`Д´) 車とかは興味ないが、こいつは一家に一台だ。 しかし今貯金して買っても、木造アパートの一室の畳の上にタンクがある絵になるので、それもちょいとウケるが(笑´∀`)
欲しい人はここから購入(いたらすごい)→サマディタンク社
でもものづくり得意な人だったら意外と自分で作れちゃうかもなあ。 タンクサロンは増えてくと思う。
最後に一昨日発見したザトウクジラの動画
このフォルムと存在感たまらん。 そりゃ「ヤベ〜!」ですよね。
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2010-03-02
「どうだった?」と宮部さん
「いやーひたすら気持ちよかったです。」
「一回も出なかったんだ?」
「はい」
体の違和感と言うのはほぼ感じなかったし、あえて出るのが面倒くさかった。 自分にブロックがないとは思わないんだけど。 もしかすると回を重ねると出てくるのかもしれない。
なかなか感想を言語化して説明するのが難しいものがある。
重要なのはこういうイメージが浮かんだとかそっちではなく、浮遊感覚というか周囲との融合感というかそういったものだ。全体との関係性をどのように知覚してるかと言うこと・・・。 2月17日の朝方見た夢のように、浮力感覚のインプリンティングを行いたかった。 最低あと2,3回くらいは試してみようかと思う。
お茶を出してもらい、映画の「アバター」や「マトリクス」シリーズの話になった。
「(マトリクス)あれは、ほとんど現実そのものなんですよ。例えですらないと思います 」
いやーしかし、このシリーズにインパクトを受けている人はこの業界の人にホント多いなあ。
「恐怖や不安で人をコントロールして、そのエネルギーで回していくっていうやり方ですからね。」
「とりあえずテレビは捨てたほうがいいね(・∀・)なんか今オリンピックやってるんだって?最近人に言われるまでしらなくてさあ・・・」
僕は地デジ化されたら今のテレビは捨ててもう買わない予定(o´・∀・`o) 地デジ対応テレビ買ったり、チューナーつけるんやったら他のもの買いたい。 すっきりしそうだ。 あるとついつけちゃうからなあ。
まーケーブルテレビは魅力的だけど・・・
「2012年って象徴的な数字としては意味があるかもしれないけど、変化はもう多次元的に起こってると思います。みんな同じ世界に住んでるというわけじゃないんですよ。それぞれの意識にしたがって、ある意味別々の世界に住んでいるんです」
なるほどヨナと、真央の決戦が意識に存在しないという人もいるわけだ・・・。
これから社会不安も増大するかもしれないけど、そういう時に人が自己を内側から解放できるようなものを提供していくのが使命だと思っていると宮部さんは語っていた。
「今までの時代はずっと曇りだったんですよ。でも今ところどころ日が差し始めている。すると影の部分もよりはっきり浮 かび上がります。ああ、そういうことだったのかってみんな気付いていくんです。ある意味でわかりやすくなってるんですね」
最後に一応ここに来るきっかけになったイルカの夢の話しをして、ドルフィンスイムなどのワークは行ってるのかどうか尋ねてみた。
「イルカが連れてきてくれたんだ(笑)今はやってないけど、御蔵島ってあるでしょ?あそこで最初にドルフィンスイムを盛り上げていったのって僕らの仲間なんですよ。今は人も多くてどうかな?って感じだけど。
小笠原なんかいいんじゃないかな ?」
ああ〜小笠原、気になるチェックポイントのひとつ。
いいかも。メモメモ(`・ω・´)
帰り道、僕のすぐ隣の席で電車内でのいざこざに遭遇した。 至近距離で怒鳴りあったりなだめたりしているので、いい気分ではなかったが、何かそれぞれがふさわしい役を演じているドラマのように見えた。条件付け的に飛び出てくる罵声。僕が隣に居る意味。
この現象の意味を解読しようとした。
いっぱいいっぱいになってる人がたくさんいるという事実? 自分の過去の(今の)意識の一側面の反映?
原因がなんであれ 僕にできることは、それを受け入れ、すべてが神なるもののなかに包み込まれるように意識すること。 根本的によきものであるシンクロネットワークの中に、みな組み込まれている。
万象はすべて僕の中で焦点を結ぶ。
翌朝目覚めた時に残っていた言葉
真如。
真如?
真如 (しんにょ、tathata、 bhUtatathatA भूततथता)は、「あるがままであること」という意味があり、真理のことを指す。
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2010-02-20
ジョン・リリー博士のコズミックビジョン 最近、ある理由からジョン・リリーの『サイエンティスト』を読み返していたら、冒頭に少々SFチックな宇宙誕生の描写が書かれていた。そこでもある局面で『愛』が発生する様相が述べられているので、引用してみたい。
星の創造者(スターメイカー)が無の中での休息から目覚め、身じろぎをした。 <対象を持たぬ意識>が活動を始め、自らの活動を見た。 <対象を持たぬ意識>は自らのフィードバックにより、<零の境界>すなわち存在と無とが交互に節目をなす無限の自己展開(<存在1>、無、<存在2>、無、<存在3>、無・・・)を生み出した。無からハイパースペース(超空間)、つまり創造を喚起する星の創造者の最初の兆しがあらわれた。
最大のゆらぎの中で、星の創造者は瞬間的にハイパースペース(対象を持たぬ意識)、すなわち星の創造者の<第一の境界>を生み出した。ハイパースペースは星の創造者によって創造の力を与えられた。
ハイパースペースは同時にふたつの方向に働き、おのれの内に膨張する渦巻きと収縮する渦巻き、ふたつの渦巻きを生み出した。星の創造者が<第二の境界>すなわち身を寄せ合って互いにダンスを踊る二つのハイ パースペースの渦巻きを創造したのである。他にはまだ何も存在していなかった。 星の創造者、ハイパースペース、ふたつの渦巻き、そして無、以上が宇宙の内容のすべてであった。
ふたつの渦巻きは集合と離散のダンスを無限に踊り続けた。それらが互いに合体する時、恍惚的なエネルギーが発生し、そのエネルギーの高まりとともに、肯定的な愛のエネルギーが出現した。これが<第三の境界>、すなわち愛である。
ふたつの渦巻きは、その接近の極みで、オルガスムのうちに融合した。オルガスムを伴う邂逅から二つの新しい渦巻きが紡ぎ出され、ハイパースペースの中の渦巻きを四個にした。その新たな二つの渦巻きは最初の二つの渦巻きと場所を交換しながらダンスを踊り、新たなペアを形成し、こうして二を単位とする創造がハイパースペースの中で続いていった。
なんで本箱の中でほこりをかぶっていた、リリー博士の本を取り出したかというとある夢が原因なのだけど、これは今進行中の出来事なので、また結果がある程度出たら書きたい。(と、もったいぶってみますw)
イクサス、ヴェシカ・パイシス、DNA、謎の魚たち
「キリスト」とは、リリー博士の創世神話でいうなら「第三の境界、愛」そして、相対する二つの原理の融合による「独り子」であるのではないかと書いた。
ところで古代キリスト教徒は、キリストのシンボルとして「イクサス」というシンボルを使っていた。 以下は「生命の贈り物」中のイラスト。
「イエスキリスト・神の子、救世主」をギリシャ語で書いたものの頭文字をとると、魚を意味する「イクサス」になるらしいのだが・・・この図形はそのようなアナグラム的な意味だけなのだろうか。
この図形を見ていると、いろいろ連想するものがあり、ひとつはこれ、
DNA二重螺旋を途中でちょん切ったような形に見える。
そしてもうひとつは、これ。
これはヴェシカ・パイシスと呼ばれ、幾何学的に説明した神の世界創造プロセスの中で相対するふたつのものが始めてお互いに接しあった状態を言う。 ジョン・リリー博士の創世神話では、膨張する渦巻きと収縮する渦巻きが融合し、「第三の境界・愛」が出現した状態と同じ。 渦は横から見ると▽だけど 上から見ると ○ になる。
またドランヴァロ・メルキゼデクはヴェシカ・パイシスは光であり、それは人が光を感受する「目」の幾何学とも対応すると言っている。 ヴェシカ・パイシスが光であるとするなら、前回引用した聖書の部分なども思い出される。
ところで、イクサスととても似通った謎の魚のしるしというのがあり、これはキリスト意識ととつながっているのかあるいは直接には関係ないのかわからないが・・・これである。
これもまたまたいつまでも多くのインスピレーションをもたらしてくれる『フラワーオブライフ』の中の写真だが、メルキゼデク氏がペルーのクスコで泊まったホテルでベッドカバーに見つけた絵。
この描かれた魚(氏はイルカかクジラ類ではないかと言う)が何を意味するのか、ホテルの従業員たちは知らなかった。そこで車でチチカカ湖周辺までゆくと、そこの近隣のインディアンがこの魚の意味するものを知っていた。
「これについて何か知っていますか?」 すると彼らは「ああ、知っているとも」と言って、それからなんとドゴンの物語にたいそうよく似た物語を教えてくれたのです!彼らの創造神話は次のようなものでした。空から宇宙船がやってきて、チチカカ湖に浮かぶ「太陽の島」に降り立ったといいます。それらのイルカに似た生き物たちは、水にじゃぶんと飛び込み、人々の側へやってきて、みんなに自分たちがどこから来たのか教え、インカ以前にそこにいた住民ととても親密な交流を持ち始めたというのです。
このホテルに入る時、メルキゼデク氏は部屋番号が23であったことに非常に驚いた。 その理由は、ドゴン族、そしてシリウスと関係がある。 アフリカのドゴン族はシリウスと関係がある伝承を非常に多く持っていることで有名だ。 彼らはイルカに似た生物がある日、天空からやってきて自分たちに多くの知恵を授けてくれたと考えている。 多くの天文知識、特にシリウスAとBの公転周期などについても空から来た存在によって教えられたという。